日々の暮らしも2004


1月28日(水)手紙/肯定

 前の職場(すでに東京が前の職場)の人にお餞別をもらって、それを妻に渡していたのだが、そのお餞別袋がなぜかテーブルの上においてある。おこづかい?と思って中を見ると手紙が入っていた。同じ係だった池田さんが手紙をくれていたのだった。
 「早々に決断されてしまって少し残念に思います。…(中略)…とはいえ、あなたが決断した道も人間らしい生活を営むうえでは、本当に正しいと思います。どうか楽しい人生を送ってください。」
 池田さんというのは二児の母で仕事がすごくできて憧れの人であったが、僕が憧れていたのは二児の母だとか仕事ができるとかいうよりもむしろこの肯定力なのだと思う。人間らしいとか楽しい人生とかはまったく分からないしそんなことを言われても困る。この先どうやって生きていくのか見当もつかないし後悔することもきっとあるだろう。だけれども。僕は僕の判断を肯定するしかないし、少なくともその判断を「正しい」と言ってくれている人がこの世界にいると。同じ職場にいたという幸せを噛みしめたいのだ。正しかろうが正しくなかろうが関係ない、という意見は無視する。
 それから「大事なことはそんなんじゃない」と歌ってくれたとなり係の中島さん。うぅ。ありがとう。涙が出そうだった。涙というのは感情と関係なく出てくるものだが、珍しくこのときは連動していた。いくら嘯いていようともやはり人間には他者の言葉が必要、少なくとも僕には必要。
 「ハリンさんがいなくなるって考えないようにしてるんです、仕事が手に付かなくなっちゃいそうで。だから『公用文書作成の手引き』ください」と言われたときには求婚してしまいそうになりましたが(ていうか自分で買えよ)、日本の法律では無理なので思いとどまりました。YG性格検査でおそらく犯罪者型になるであろう素敵な娘さんです。犯罪者型はほんとうにいいです。不適切な表現かも知れないけど、かわいいのです。犯罪者型に一定の秩序を見出すのが僕の仕事だと思っています。ただ家では仕事したくないので、同居人は犯罪者型ではありません。
 僕は池田さんも中島さんも大好きだし愛しているし幸せになってほしい。ほしいのだがこの二人の仲が微妙なのだ。池田さんが中島さんを責めるのだ。責めないでほしい。仲よくしてほしい。ほんとに仲よくしてほしい。中島さんは結果としてまずいことになったりすることもあるし、その過程を見ていると何だか他人とは思えない。肝心なところを抜かして失敗する。そこを肯定してあげてほしい。そこを肯定してあげられるのがたぶん池田さんなのだ。

1月27日(火)スタンドアローン

 つながらない状態で起動中です。しばらく眠っていたいけど、世間は「問題なし」だろうけど、私としてはご飯を食べなければならないし、家族の一部を担当する責任があるので、つながらない起動をしなくてはなりません。
 新幹線はガラガラです。こんなんだったら品川からでもよかったといえなくもないですが、でもまぁ山手線で一駅行くのも何駅行くのも変わらないし、やはり重い荷物を背負うときには東京駅が似合うのでしょう。新横浜を出ました。
 見送る人の目は同情的です。もったいない。また戻ってこいよ。少しももったいなくないし、戻る気なんてさらさらない。私は私自身の選択において誤ったことはありません。これは私の能力からすれば奇跡のようなことでしょう。ただ微妙な距離がある。それだけです。距離において説明可能です。時間も含みます。僕の距離や時間というのは近代科学で説明ができるということです。僕の程度など近代科学で説明ができるということです。説明ができるというそれだけなのです。
 つながらないというのがこんなにも手持無沙汰だとは思いませんでした。この手持無沙汰と引き換えに僕は何かを捨てたわけですが、それはたぶん厳密な送り仮名であり夜の電車であり噂話や冗談なのでしょう。それらの価値は残念ながら、僕の距離や時間では計られなかった。単位が違う。だから未練はない。
 米原で降りると雪でした。重いなぁ。どこなんだろうここは。在来線に乗り換えて、これまで足を踏み入れたことのないところへ行きます。この生涯で最も人口密度の低いところに住み勤めます。そういうことも、あるのかな。
 中島さんに伝えわすれたことがあって、でも見送ってもらったばかりで電話するのも間抜けで職場あてメールを出したら夜になって返事があって、そうだよねぇ。ハムさんともつながっている。まだまだ何とか東の方とも接続可能かな。ダイヤルアップでもいいから保ちたいという気持ちも否定できず。みんな仲よくな。

1月25日(日)青葉台

 あざみ野の出張所で住民票を取って、帰りにブックファーストや文教堂に寄る。プラモデルは買わないけど見ているだけでおもしろい。神戸珈琲でいつもはコーヒーを買うんだけども、今日はモンブラン(何らかの生き物みたいな)とシュークリームを買う。ここのおねえさんは別嬪さんだ。ふだんあまりそういうことは思わないのだけれど、ここのおねえさんは別嬪さんだなぁと常々思っていた。モンブランもシュークリームもおいしかった。コーヒーも全般的にそつなくおいしい。そういうお店がふつうにある幸せ。このままきっと、誰にも会わない。

1月24日(土)インターネット難民

 妻がガス屋とか電気屋とか水道屋とか餅屋とかに電話かけていろいろ手続きしているのをぼんやり眺め、レディボーデン450ミリリットルを小わきに抱えながら平和な午後だった。しかしその平和な午後の一時は突然打ち破られた。電話屋に電話をかけて判明、次の引っ越し先はADエスエルが使えないということなのだった。使えませんよお客さんとNティーティー職員が宣ったのだ。何か途中に妨害回線が差し込まれているらしい。お客さんがここの回線買い取ってくれるっていうんなら話は別ですけどねぇ、けけけ。むぅぅ!折しも朝日朝刊には「南極にもブロードバンド」という記事が一面に掲載されていて、つまり近江八幡はあれですか。南極より寒いっちうことですか。越冬隊員っちうことですか。タロジロは生きていたっちうことですか!
 はてなにきいたら、ケーブルTVとかイーオーとかどうよと回答があって、そうさ、Nティーティーなんか蹴っ飛ばしてけつくらえだよ。大家さまと相談して穴開け工事だよ。かんさい〜でんきほ〜あんきょうかい!(←微妙に勘違い)

1月23日(金)部屋探し

 てなわけで今日は最後の年休消化して新幹線で。乗ったのが望で、しかも緑車で。はじめて緑車に乗った。緑車は靴脱いで乗らないといけないのだった。京都まで行っちゃってつかの間の里帰りであるがすぐに新快速で長浜行き琵琶湖線。さよなら京都。着いたところはどことはよう言わんが某近江八幡。寒い。不動産屋に電話して今すぐ迎えに来たまへ。心は駅徒歩二分でほぼ固まっていたのであるが、そこの管理がややあやしくてバルコニは鳩まみれ、萎えた。次が駅徒歩10分なんだけど築8年で3DKでこぢんまりときれいな部屋で決めました。3とDKが全部6畳。田んぼの田の字になっていて使い方がむずいな。和は寝室として洋6洋6をどうするかだな。昼は不動産屋近くのファミリィレストランで食べたが、通常相場より安くて女子高生のたまり場となっていた。地方の女子高生と言う概念が何年も何年も抜け落ちていたので、妙に新鮮な気持ちになった。たまり場と言っても喧しいというわけではなく最近の女子高生は行儀がいいのだなと思った。そういうようなことを妻と話しあっていると電話が鳴り契約書を埋めに不動産屋へ戻る。帰りは駅前のマイカルへ。うらびれるわけでもなくそこそこに繁盛しているようで望むことといえば閉店しないでください。マイカルはまだ大丈夫なんだっけ。ヴィレッジヴァンガードが入っていて京都のより微妙におとなしめなのだった。米原まで寝て光で寝て新横浜で寝て長浜で寝て青葉台で寝た。ここももうすぐお終いだなぁ。短い間だったがいいとこだったよ。

1月22日(木)引き継ぎ

 てなわけでめでたく異動が決まり引継書を書いているのですが、御前ほんまに仕事してたんかというぐらいに引継事項多発で、しかし私としては引き継ぐしかないので淡々と引継事項を列挙している次第です。次はどうも新人さんっぽいのでお気の毒です。私が手を染める前よりすべての仕事において手続きが煩雑になってます。そんなつもりはなかったのに、やらなくていい仕事を増やしてしまいました。カフカ的な不条理です。この書類は何のためにあるの、この判子は何のために押すの、疑問を疑問として楽しもう。オレは一体何をやっているんだ。とにかく楽しもう。仕事のための仕事を楽しもう。お金のための仕事なんて楽しくないよ。仕事のための仕事こそ仕事のための仕事なんだよ。
 まぁそれはそれとして毎日毎日送別会で一体誰が誰を誰からに送別されるのか。俺はお前を愛してたんだとかいわれてもそんなことは分かっていたし、私はあなたを愛せないし。
 あと、関西人の発する言葉はいつだって関西弁だし嘘ではないが事実でもないので真に受けてはいけない。あいつは真面目そうだからとかいって関西人を誤読してはいけない。すべての関西人はもう例外なく真実よりも笑いなので、いちいち真剣な顔で、「ちゃんと奥さんに相談しないといけないよ」とか言うのは止めてください。関西出身であることを呪いたくなります。それから愛があるのなら「アホちゃうか」と言ってやってください。イントネーションなんてどうでもいいんです。いんちき関西弁で「アホちゃうか」。

1月20日(火)テンポラリ

 どこへ行ってもテンポラリーというような種類の人間があって、またしても現在の職場でそういうことになってしまいそうだ。そういえばいたねぇそんな人いたねぇ。というような感じで話題に上ることがあるかないかギリギリの線というところ。次の職場では何としても定着したい、というようなことはないので次の職場でもテンポラリーなのであろう。というか考えてみれば、大概の人はテンポラリーですね。人生はテンポラリーの積み重ねですね。人生そのものがテンポラリーだとは思いませんが、テンポラリーが集まって成す模様。というわけで近江八幡濃厚なのですが、妻が取り寄せた物件情報を見ると、安い。京都よりも2万は安い。これはいいところに住まなきゃ損だ。というような貧乏性が実貧乏を産むのです。そういうサイクルなのです。う〜ん。さよならを言うのは少しの間死ぬことか?

1月19日(月)こじれてきた

 こじれてきたっぽい。計るまいと思ったが計ってみると振り切っていた。婦人体温計は38度までしかメモリが計られなかった。少ないめに見積もって38.5度はあるのだろう。見積もりだけなら無料なのだろう。関節が痛いのだろう。鼻から何かが流れ出しているのだろう。
 大津はどうかと問われ仕方ないですねぇと言っていたら、近江八幡とか長浜とか米原とかどこまでいくねん。いっそ岐阜とか大垣とか名古屋とか三河とか浜松とか浜名湖とかうなぎとか!え!?うなぎなの!?
 そういった情報を妻に伝達すると、まぁ住んだことないとこだし、いいんじゃないの?と。確かにそうかも知れぬ。僕としてはインターネットがつながってアマゾンが配達してくれて移動図書館が2週間に1回来てくれるところなら、地球上のどこでもいいよ、と思ったりもする。あと、毎日定時退社できるところ。

1月18日(日)風邪

 どうも本格的に風邪を引いたっぽい。先週からあやしかったので金曜日に会社の医務室行って薬をもらいこの土日で飲んでいたら悪化した。薬がやばかった?
 それにしても本物の風邪を引くのは久しぶりだ。仮病ならしょっちゅうひいているので現実と虚構の区別を付けるのは難しいが、小学生の時以来ではなかろうか。20年ぶりぐらいになるのではなかろうか。死んでしまうのではなかろうか。
 まぁそれはそうとして、病は気からとはいったもので、ダメだと思えばダメになる。かなりダメだと思えるのだが、明日からは休めんしなぁ。むぅ。むぅぅ。とかいってる間に寝てしまえばいいのに寝ないのは昼間寝過ぎて眠くないのだ。眠れずに困るというのも久しぶりだなぁ。大人になってからは眠くなければ眠らなければいいというスタンスだったし、今でも基本的にはそういうスタンスなのだが、明日は会議がたくさんあって、絶対に寝る。百パーセントの確率で寝る。また、それは寝てもいい会議である。でもやっぱりやばいのでクビになってもつまらないので今のうちに眠っておかなければならないがだらだらと、だらだらと本なんか読んでしまい、なぜか相棒が買ってきた炎の転校生の第3巻を読んでしまいファミ通を読んでしまい、このファミコンカラーのゲームボーイほし過ぎるではないか。スパルタンXはなんで復活せんのだ。ボンバーマン出るんならバンゲリングベイも出さないかんやろう。ハドソンと叫んでみなならんやろう。ゼビウスなぁ。オレの中でゼビウスといえばワイエムオーではなく毛利名人である。1000万点いったひとである。何かファミコンってどうでもいい記憶とか切ない記憶とか仮病使ってやってた記憶とかよみがえるのであるが、仮病使ってファミコンなんかやってる子供はこういう大人になってしまうのだとそれは私です。あとなんか最近デジキューブの広告載らないなぁと思ったらつぶれていたのですね。

1月14日(水)認識

 赤という色がすべての人にとって赤いとは限らない。信号の止まれだといってもそれは記号でしかないし、血だトマトだマフラーだといってもそれは、血の色とトマトの色とマフラーの色が同じだという意味でしかないしちっとも赤くない。じゃあデジタルだとかってRGBだHSVだMMKだとかいっても同様。赤のあの字も読めない。読めないのである。赤ちゃんなのである。赤ちゃんも夢を見るのかしら。
 まぁそれはそうとして、ブラウザが違うし人間が違うので赤が赤でなくなっても仕方ない。だからもうこれは最大公約数を求めて微調整に走るか自分の愉悦を求めて微調整に走るかどっちかになるわけで、ウエブセーフカラーも知らない。知らないよ。
 今日ウイン機(ネック製)のアイイー(5?かな?)でこのサイトを見てみるとトップページのメニューがずれていた。明示的にHeight22ピクセルと指定しているにもかかわらずウイン(ネック?ネッキントッシュ?)アイイーは黙殺していた。OSXのアイイー(5?だよね?)は大丈夫だった。モジラも大丈夫だった。オペラはジャバスクリプトもCSSも読めてないところがあるみたいだった。アイキャブはジャバスクリプトを途中まで読んで放棄したみたいだった。むずかしいよなぁ。むずかしいよのお。ブラウザの個性って言ってもいい?個性を尊重してもいい?ネナビ4は厳しい。かなり厳しいけど、OS9では現役だよね。ネッスケ6とか7とかは重いものなぁ。どうしてもすまんのことですが、私自身がサファリなのでサファリひいきしています。
 ふと気づいてみたら当たり前のようにOSXを標準と考えている僕がいる。先週は所用でOS9を立ち上げたりしてみたけれど、やっぱりすでに僕はXの人なのだった。世界はXで回っているか。一分間で回っているか。
 今日はハムさんと最後の渋谷さ(回文)。何かいい出来事が起こる気がする。夢のように何もかもうまくいくよ。
 まぁ、うまくいかなかったことなんてないんだけどさ人生。実際の話。

1月9日(金)抜け道

 となり係の中島さんと一緒になる帰り。「ハリンさん実は私おととい抜け道見つけちゃったんですよ、委託さんの尾行してるときに」「あなた何やってるんですか」「ここで曲がるんです」「なるほど、ていうかこれは抜け道というよりも猫道ですね。一般人は通らないですよこんなとこ」「大丈夫ですよ」「大丈夫かなぁ」「ほらここ何だと思いますか」「煙突がありますね」「銭湯なんですよ」「おぉ、こんなところに、これは知らなかったな」「400円もするんです。さすが十番は高いですね」「いや東京全部そうでしょう」「ここなんかこんなに家小さいのにいい車乗っちゃって」「それはここの人の勝手だと思うよ」「ほらこれが岡村ちゃんの住んでるマンションですよ」「いや、それはたぶんあなたの妄想でしょう」というわけで新ルートを開拓してみたがたぶんひとりでは来れないだろう。

1月8日(木)絶対

 この世に「絶対」などというものは存在しないと知った。今日アマゾン市川という人からマウスが送られてきて、それは2ボタンとかホイールとかなのだった。つまり人類堕落の始まりである。ていうかロジクールこれなのですが、使用感など書いてみるとやはり無線ゆえか微妙な操作が追いつかないようで少し気持ち悪い。ロジ慣れしてないってのもあるのかなぁ、この違和感は。アップル純正しか知らんしな。それから重い。言い換えればヘヴィである。憂鬱になる。まぁそれはそうとして重いので慣性が働いてすぐには止まらない。右クリックとホイールは一生使わないのでよくわかりません。あと「Logitech」っていうださいロゴマークが付いているのでこれはやすりで削って「魯血鉄愚」に直したいと思っている。

1月1日(木)除夜の鐘/雑煮/マウス考

 除夜の鐘がいつまでも聞こえる。幻聴だろうか。
 朝から雑煮を食べて空々しく明けましておめでとうございます。この空々しさで今年一年を抜けてみたい。昼はもうすでにいつもどおりパスタであり、おやつにはしかし黒豆をいただいた。丹波産かどうかは知らないが丹波黒豆。手持ちのゲームソフトをすべて売り払いエレコムのマウスパッドと文庫本を8冊買ったらちょうどなくなった。文無しになった。文庫本については秘密なので触れない。マウスパッドはいいの買った。いいのは違う。まず机へのへばりつきが違う。二度とはがれないへばりつきだ。さらにはマウス感が違う。なんというかマウスがマウスじゃない感じ?アンチマウス感?そういう思想。次は無線マウスほしいが、アップルのは高いよのう。もしかしてこれもいるのかしら。合わせると一万五千円だなぁ。ていうかバイ!ナウ!危険だ。新年早々危険思想だ。2ボタンとかホイールとかは人類堕落の始まりなので絶対に買わない。

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