日々の暮らしも(2003年)


11月30日(日)メール殺到

 おせっかい機能って何ですか!?気になって夜も眠られません!!というメールが殺到!......しませんでした。一通たりとも来ませんでした。ので勝手に書きます。おせっかい機能はサバノワの隠し機能で、家計簿の収支が合わないときに、未入力(もしくは過入力)項目を予想しようというものです。予想といっても近い金額のものを過去分から探してくるだけなのですが、存外にそれで気づいたりするものです。シフトを押しながら三角ボタンをクリックすると金額を入力するウインドウが開きますので、ぜひともお試しください。まだまだ試験的な機能でして今後改良してゆきたいと思っております。
 本日のおやつはクッキィー。実はこっち来てから毎日おやつにクッキーを持参していたのですが、ちょっと肥えてきたので現在休止中。今日はゴマでございました。カプチィーノでいただきました。では、また来週!


11月28日(金)雨の土曜日

 今日は時間がない。早番で緊急対処室に派遣されおっしゃあ仕事するぞと決心!むなしくくかぁー。ネットワークオープンしましたぁ!と耳もとで大声出されて心臓停止。あわてて部屋に戻りとにかく始業までに何とかせねばとキーボードをぺちぺち叩いていたら、レビューするぞこらー!と背後から大声出されて心臓再起動。午前中はレビューの嵐。帰らせてください。寝かせてください。の願いもむなしく軟禁される。昼から本社打ち合わせで昼に資料をコピーしていたら君昼から本社なんだってそれって絶妙だよこれ持ってってとバルキー5冊、君昼から本社なんだって可及的速やかにこれ持ってってと壊れたノートパソコン、君昼から本社なんだってそれは伝説になれるよと郵便当番。400円ずつ徴収してタクシィに乗ります。打ち合わせは例によってやられ打ち合わせでむしろ出来レース的で相手が何を言いたいかはすでに了知。上司の意図がよく分からず改善案を出せとうるさいので出したらこんなんじゃ全然ダメと直しが入ったのを見ると、いや、それは、無理でしょう、猛反発食らうでしょう、そもそもこの仕事の意味を理解されていないでしょうというような内容であったがそういう意見は封殺され、仕方ないのでいちばん猛反発を浴びせかけてくれそうなところへ情報展開したらば、案の定。御前ていうか御前等は嘗めてるのか儂等を。期待通りに即呼び出し。そういう打ち合わせ。けちょんけちょん。上司へ提出するためだけの議事録をフィクション脚色大幅加筆で作成し月曜提出予定。明らかにけんかを売っているが、けんかするなら上同士でやってほしい。少なくとも担当者レベルではそんなことが出来るほど余裕ない。藤里さんもよれよれ。オレの後任に君推薦しといたから。ってそれは不可能でしょう。ありえないでしょう。超常現象でしょう。帰ったれば就業時間であるがとても就業できる状況ではなく内容的にはスパムに近い仕事メールを読まずに削除したり内容的には折り込みチラシの裏にかかれた落書きに近い書類を読まずにシュレッダーしているうちに気がつけばいつもメンバーっていうか、徳留さんと僕。徳留さんも実家に帰りたい組だ(鹿児島)。一緒にラーメン食べてひとりで戻ると日付が変わった。書類の差し替え(取り急ぎではないがいつかはやらねばならない仕事)をやっているうちに明るくなってくる。途中二度ほど意識がなくなった。外へ出ると雨が降っていた。雨が降っているかどうかさえ分からないようなところで仕事している訳ではないのだが雨が降っているかどうかさえ分かっていなかった。どこへも寄らずにまっすぐ帰ることにする。時間と方向のせいで、電車では余裕で座れる。当然のように眠る。は、っと気づいて電車飛び降りるとなぜか二子玉川で、なぜ飛び降りてしまったのか不明。仕方ないので駅前をうろうろする。北と南で雰囲気違う。北は高島屋で南は東急ストア。そんなイメージどおり。雨の多摩川。こどもの頃武庫川の河川敷で凧揚げしたことを思い出す。だんぜん武庫川の方が汚染しているのであろうが。次の異動先は西宮でもいいかなぁと思ってみたりもする。来週はきっと用賀再来週は桜新町で降りるでしょう。


11月27日(木)やさしい

 忘年会。やはり田町。日本酒を上手に飲まされて、飲ませ上手の人がいる。妙な説得力があった。上司が人事臭い話をするなぁと思ったらやはり希望調書を踏まえた上での話なのだった。直属の上司には近寄らないようにした。なんか雲行きが怪しい。あまりやさしい話をするな。面倒くさいので早々にばっくれて田町から山手線に乗った。22時少し前に渋谷へ着いて本屋に走って滝本竜彦を2冊買った。どちらかというとそっちの人生を選択したい。そっちの人生を選択しうる時代に住んでいると思う。思いたい。たくさん飲み食いしてケーキ小四つも収めたのに全然どうもないのはいよいよ胃が肥大している。


11月24日(月)整理

 カスケーディングスタイルシートを覚えた。たまたま訪れたサイトがカスケーディングスタイルシートを用いて好ましいスタイルを保っておられたので、まねした。ゴーライブでざっくり作って、エディタでタグを打ち直したら、ファイルサイズが軒並み小さくなった。調子に乗って赤と緑でクリスマス!と思ったが何だかけばけばしくなったのでやめて緑だけにした。地味だ。滋味だ。
 この半年で体重が3キロぐらい増えて、何年も穿いているGパンがきつい。原因は食べ過ぎである。消費以上に食べている。有り体に言うとストレスである。ストレス100で死に至るとして、半年前まではストレス0で生きてきたので、現在ストレス10ぐらいなのであるが死にそうである。年が明けて誕生日を迎えると30歳になる。30歳までには現状ではない何らかの態に遷移していたい。三十路というのは誰がどうコメントしようとも私にとっては節目であり分岐であり臨界点であり、このままに迎えるとほんとうにこのままになってしまう。それだけは断言できる。なので人生マイライフ計画では、今年いっぱいで京都に帰り、正月は荷解きで過ごしたい。もう関係なくなってしまう人たちに白々しい年賀状が配達されたい。鞍馬口か御池のあたりに住んで2年後には転居したい。転居先は未定。妻が右京区の物件までさぐりはじめた。
 スイートポテトを食べました。おやつをおいしくいただくだけで、ストレスは10から0になります。このへんは簡単な構造でよかったと、自分自身を祝福します。父から突如電話があり何かと思えば「デジカメの写真がパソコンで見られへんのや」って知らんがな。父が今の私の年齢にあった頃、私はすでに小学校に上がっていたのであり、その分野においてはただただ父を尊敬するばかりであります。その分野においてはただただ弟に期待するばかりであります。


11月23日(日)ソフト選び

 アウトラインプロセッサへの需要が突如高まり製品選び、これがまた多種多様で悩みまくり、絞りに絞って、オムニ、カシス、サーカスポニーズノートブックから試用に試用を重ねてカシスをレジストした。イージーピュアにもマイクロワードにもアウトライン機能あるにはある。がやはりどちらもワープロソフトゆえか勝手悪くて重くて早々に却下。上の三つの中ではカシスがいちばん見た目もっさかった(ボタンが矢鱈についてて、何となくウインPC文化の香りがする)。もっさいながらも機能面で、メモというより長文をダダダと打ってグリグリ整理するのによさそうなので。オムニのシンプルさや、ノートブックのノートとしての洗練も捨てがたいが、結局は実を取ってしまったというわけだ。ポケットのいっぱいあるチョッキを選んでしまったというわけだ。缶切りや方位磁石まで搭載している徳の多いナイフだ。


11月22日(土)皮算用

 誰もいってくれないのでやや拗ね気味に記しますと、サバノワの「おせっかい機能」はすこぶる便利です。んー、合わない。どうしても合わない。てなときにそのおせっかいぶりを発揮します。自分で作っといて正直なところあまり使えないのではないかと思っておりましたが、存外とヒットするものです。ぜひに!お使いくださいませ!ていうかどなたでも結構ですので早く突っ込んでください。
 そんなこんなでサバノワシェアウエア化計画進行中です。来年か再来年(やや弱気)にはリリースできればよいなぁと思います。現行フリーのサバノワは「家計支出分析」が主たる機能ですが、シェアウエア版は「予算案作成支援」機能を盛り込んでいきたいと思っております。衆議院も参議院も一発で通しますので、政府の人は買ってください。予定価格は10000万ドルです。


11月16日(日)中心都市名古屋

 温泉からの帰りは名古屋。みそ煮込みうどんを久しぶりに食す。山本屋。妻実家に初めて行ったときに、食して以来だと思う。名古屋コーチンだと思う。高島屋の地下で坂角のゆかりを買い占めて、嫌な顔された。東京からやってきた資本家が名古屋の魂までも買収したみたいな顔された。本当はただ照れくさかっただけなのに。素直になれないだけなのに。
 新幹線に乗って寝て起きたら新横浜だった。のぞみ号の怪である。新横浜なのに「帰ってきたな」感があるのはおかしかった。今なら故郷の概念がかなり曖昧だと思う。青葉台に着いたらひそかさんからメールがあって、誰かからメールがあるとうれしいのはなぜかなと考えると、よりいっそう曖昧な気持ちになるのだった。


11月15日(土)湯の山温泉

 こっち来てから初めて関東地方を出た。新横浜で東京組と合流してのぞみで名古屋へ。つまりこれは、名古屋をめぐる日記である。
 さすがののぞみであって、自由席といえども速い。ひかりのグリーン車よりも速い。これは盲点というか新事実である。名古屋で東海組と合流して温泉へ。つまりこれは、温泉をめぐる日記である。
 ロープウエイ的な乗り場で近畿組と合流。つまりこれはロープウエイ的な乗り場で近畿組と合流をめぐる日記である。みんながみんな傘をさしていておかしかった。お前は傘か!アンブレラか!
 ロープウエイ的な乗り物で山へ登る。高いし速いしところどころロープが切れているもんだから危なっかしくてしょうがない。無線化技術もここまでくると考えものである。つまりこれはワイヤレス日記である。
 ロープウエイなので、登った感が薄い。全然登ってない。寒い。だいたいからして軽装である。カモシカである。つまりこれはカモシカをめぐる日記である。そろそろ何かをめぐるのにも飽きてきたところで。
 飽きてきたところで、宴会なのであるが、飲まれ踊られ歌われて、みんな結婚しちゃうんだなぁ。結婚っていうと何だかすごく大人のような気がして、そういう話を聞くと顔を突っ込んではいけないところに顔を突っ込んでいるような気持ちになる。青年14歳である。つまりこれは、結婚をめぐる日記である。
 夜も更けて、みんな同じ職業のくせに、将来は何になりたいかなどという話になって、なりたいものなどこどもの頃から変わらないのであるが結局嘘の回答しかできない。嘘の回答No.11である。帰ったら職場で希望調書を書くので、さっそく総理大臣とか総裁とか書いて、試験を受けてなりたいと思う。つまりこれは、受験戦争をめぐる告発である。
 温泉とはこれすなわち温かい泉である。泉である。露天だとか裸だとかは副次的なものに過ぎない。温泉これすなわち手ぬぐいである。


11月9日(日)ないのは貯金だけだ

 うちは引っ越し大好き家族である。つまり越好きファミリィである。京都帰ろう、という話で突如盛り上がり、妻は早くもインターネット物件検索である。こうしているときがいちばん楽しい。夢がある。希望がある。何よりも愛がある。 京都は安い。こっちより断然安い。四条とか余裕で住める。ただ京都へ帰るとサラリィも断然安くなるし、すんなり京都へ帰られるとも限らぬし、妻よあまり早まるな。会社とか通勤とかに縛られない生き様を生きてみたい。


11月8日(土)魔の山

 咳が未だに止まらないので、再びたちばな台病院へ。全然しんどくないし命には別状ないが空気感染するので二年ほどサナトリウムに隔離、というような病気を妄想してみる。夢抱いてみる。えらいおじいのお医者だった。 レントゲン取って見てもらい、気管支炎だろうとくだされた。白くなってまっしゃろ。炎症ですわ。肺炎なったら真っ白ですわ。しゃっしゃっしゃ。…。抗生物質と咳止めを一週間。 抗生物質は三日間飲むと一週間効くのだった。抗生物質って漢字が何か怖いよね。生に抗う物質だからね。物質だよ。


11月2日(日)魚の色は

 大井町線は、なんか路面っぽい電車で住みたくなるような町だなぁ。自由が丘的な丘で雑貨など。目当てとしてはカレンダーや手帳やマグネットボードである訳でして、手帳だけ見つかった。魚柄。
 一ヶ月ぐらい前に新聞広告に載ってて欲し過ぎると思ったニシキゴイであるが、存外に色がよろしくなかったので(もっと朱だと思いこんでいた)見送ることにした。 こういうことがあると、何か、自分の色彩感覚はおかしいのではないかと思う。人工物においては、好きな色よりも好きでない色の方が多いような気がする。


10月31日(金)起こされて

 慶応通り振興会でめでたく電車がなくなる。電車がなくなるまで飲んでいるのではなくそもそも飲みに出るのが遅いのである。しかも僕はほとんど飲んでいないのである。 ほとんど飲んではいないが酔っ払っており、六本木方面へ歩くとおにいさん朝まで寝てていいよなどと声をかけられて怖い目にあうので行かない。結局会社に戻って仕事でもしようかと思ったができるはずもなく寝て、掃除のおばちゃんに起こされて。


10月30日(木)咳が止まらない

 久しぶりに年休とれて、咳が止まらないので何とか台病院に行けば風邪です。咳止めと痰切りと抗生物質を五日分もらって家に帰ると鍵が閉まっている。 そういえば買い物に出るから鍵持っていけと言われていた。すっかり忘れていた。仕方ないので散髪へ、寝ている隙に短くなっていつも通りっていったのに短くなったなぁと思えば前回もこんなもんですよ、と、そうでしたか。


10月25日(土)パンサー

 朝からパンサー。そしてその導入記。
 まずは、パッケージの黒さに納得。なんちうても黒い。パンサーといえば黒。これ常識。腹黒いことでも有名。
 さらにはXに戦慄。なんちうてもX。パンサーといえばX指定。これ常識。子供によくない。
 あまつさえ10.3。なんちうても10.3。「.3」のあたりに恥じらいとためらいと開き直りを垣間見る。物腰は柔らかい。
 ジャガーよりも動作がきびきびしていて、ファイルアクセス速度の向上か、サバノワも早まっている。それだけでもうれしいなぁ。10.4は「Hamster」にして、もう愛くるしい、愛くるしいよ!というようなOSを望む。
 あと、エクスポーズはすこぶる便利予感。「すべてのウインドウ」と「デスクトップ」はお片づけのできない私には必須機能の予感。
 マイナス点としてはパッケージが黒いのとよく分からないおまけが付いているのと。こんなに黒くなくていいしおまけはいらないから。黒いハムスターとかたぶん悪いから。


10月24日(金)町

 久しぶりにハムさんと渋谷にて。人は多いしハチ公は阪神ファンに辱められているし、何か切ない町だよ。交通の便で利用しているがどうなんだろうなぁ。なかなか「好きな町」というのは難しいです。


10月19日(日)終末

 同居人と原宿方面へ。靴を二足修理に出して、渋谷の方へ歩くが、失敗。もう渋谷自体がうち的に失敗である。 東横線に乗って横浜へ逃げる。スーツを買ったがいい加減こういう買い物もそろそろ終わりなのかも知れない。
 金曜の夜の話であるが、同席だった吉井くんと二人疎外感を覚えつつ疎外感を覚えるもの同士可もなく不可もない話題で茶を濁し続けていたのであるが 何らかの拍子に彼が岡村のファンだということが判明し、あぁしかも最近復活したらしいな。あれは先週か。 この忙しいのに時間休かよ(とかいって基本的に私のジョブは誰かに手伝ってもらったりして楽になるようなジョブでもないのでこれはつまり単なる僻みなのである。 ていうかジョブチェンジしたい。じゃあ忍者で)、と思ったらそんな楽しい時間休だったのかよ。オレも誘えよ。まぁそれはそうとして吉井くんは同じ係なのであるが、仕事に対する情熱とか今後の展望とかが非常に似通っているので予断を許さぬ状況だ。 あぁしかもそんな楽しい時間休は隣の係の中島さんもそんな楽しい時間休だったそうで、ていうか君は風邪だったのではないのですか。 ていうか君たちは。そういう間合いの取り方を僕は忘れていたよ。引いてみようと思ったよ。「大事なことはそんなんじゃない」


10月17日(金)金曜の夜

 田町で電車が無くなって途方に暮れる。タクシーという選択肢は最初から存在せず海路(海に住んでいない)も空路(東京には空がない)も断たれた僕はどうしたものか。 とりあえずという訳で渋谷の方を向いて歩き始めたが結局六本木あたりで力尽きて、そのまま電車が動き出すまで冷たくなった。金曜の夜は帰られぬ決まりになっているのだ。
 「東京には空がない」と「モナドには窓がない」とは、ほとんど同じ意味で表現で影響力であるということが直観できるような気がするのは何となく頭が冴えている。 見えないものが見える仕組みが分かった。そんなことを書いたら宗教とか信仰とかが芽生えたように思えるがそんなことは全然なくって、現実味の希薄な日々に少しでも正気の度合いを高めていたいと願うのだ。


10月11日(土)屋上

 港区三田でいちばん古い建物に忍び込み屋上へ上がる。東京タワーが見える。バスケットのコートがあって観客席は階段状になっている。 その後ろは時計台だ。そこまで上るとかなり高い。風が吹くとふらついて危ない。家に帰るのもなんだか面倒くさいような気になって、かといって行くところもない。 ベンチで横になってみる。頭がぐらりとしてこの感覚は久しぶりだと思ったら、冬とか正月とかに鴨川で冷たくなっていたのはもう5年も6年も前の話だった。


10月3日(金)電話/歴史に学びなよ

 職場に前の前の職場で一緒だった島野さんから電話があって、半年ぐらい前までは現実だったのに現在ではもはやあれは夢だったのではないかというような日常がよみがえり、 ぼちぼちと年末恒例行事関連の仕事が始まると聞いてあぁそうのかもうそんな時期なのか。 それで去年僕が作ったファイルが見つからないということだったのだが、ちゃんと覚えているあたりが記憶というのは不思議だと思わせる。昨日聞いたことは忘れるのにな。 島野さんとはよくよく考えるとあまり電話で話したことないし(毎日会ってたし)、電話で話すということは離れているのだなぁと、京都は遠いです。 それから、意識せずに話すと僕はどうもやはり関西弁ではないことばを発しているようで、「ニセモノか」としきりに突っ込まれました。「ニセモノです」。
 仕事が全然終わらなくて、翌朝になっても終わらなくて、食べるものがヨーグルトしかないので、ヨーグルト食べて働かない頭でもうこれ以上はダメだと思い帰る。 こんな時間に乗る電車というのも昨今珍しく渋谷で降りるつもりだったので、少しずぼらをして銀座線で渋谷に着くとどこに着いたのだか全く分からない。 髭面で全く分からない渋谷の辺りをふらふらと、あてがないのも災いしてふらふらとしていたら何となく見覚えのあるところに出た。本屋5階で山川の詳説世界史を購入。 高校生の時に大人たちは、こんな勉強なんて社会に出てから何の役にも立たへんで、と言っていたが、結局僕は世界史なんかうっちゃらかしていたので今こうして困っている。 学校の勉強なんか役に立たへんでと言っていた大人たちを一列に並べて、右から左に一人ひとりその真意を問いただしたいよ。 あんたはほんとに困ってないのかと。僕は今困っているよ。受験した大学は文学部のくせに数学でも受験できる大学だったので (というよりもむしろ数学で受験できる文学部ばかりを狙って受験した)日本史も世界史もやってない。 なので今こうして困っている。そうだよ、そういえば誰ぞやも、"ビィワ〜イズトゥヒストリィ〜"って歌ってたよ。
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