日々の暮らしも(2003年)


9月23日(火)あざとい

 ファウストが出ていたのを今日発見した。以前新聞で紹介されていて、あざとい企画だなぁと思ったら、現物もやはりあざとい感じがした。宣伝用のライナーノーツが東浩記と編集長の対談だというからあざとさ炸裂である。しかも「いい仕事しましたね」とか言って。オタクではない僕がそう思うのであるから、オタクの人が読むと相当なまでのあざとい具合にやられるのだろう。いつまでたっても読み終わらない新現実はひとまず投げて、こっちを読んでみよう。たぶん僕みたいに一般的な人間も乗せられてしまうからあざといのだ。現実の延長上にあって、現実逃避の予感を覚えさせてくれるからあざといのだ。こういうあざとさを身に付けたい。ヒラギノ明朝。


9月22日(月)ペット

 職場同期のペット(ペンギン)からメールが来てもうすぐ主人が誕生日だという。返事していいものか微妙。3年ぐらい会ってないか。9ヶ月ぐらい前に会ったような気もする。ペットはどれぐらいやってないだろう。うちのペットはこないだのハードディスク障害でゆくえしれずになってしまったのでした。すまぬ。というわけで新ペット始めます。なまえはルンルンです。いつかはあなたのすむまちへゆくかもしれません。


9月20日(土)妙に軽い身体

 久しぶりの雨である。午前中には地震があった。休みの日も午前7時には起きる習慣を結婚してから続けていたが、11時まで寝かせてもらった。午後からは町田に出てシャツとネクタイを買った。東急ハンズの1階はペットショップでありハムスターの不意打ちにあった。かわいいなぁ。大人だからおねだりはしないけどさ。Yondaのパンダが届いた。定期購読の雑誌が届いた。急に涼しくなった。扇風機はもうお終いかな。


9月14日(日)どこにもいない

 朝(昼)から中華街突入であり、おなかが割れそうなほど食べました。練り歩いたりタワーに上ったり、残暑の厳しい横浜を堪能しました。こっち来てから高いところは3回目だけど、横浜の方が東京よりもおもしろかったよ。海も港も富士山も。東京タワーが見える。
 近畿組と新横浜で別れた後はひとりで電車に乗ってたんだけど、自分も近畿組のはずなのになぜ別れるのかがよく分からず、でも少しだけ眠たかったのでそのままうつらうつらとしていて気がついたら町田に降りていたというわけだね。JR町田の駅前は立川のそれに似ていた。帰る前に中央線乗ろう。
 実のところ京都に帰りたいというのはあまりないんだけど(というのは近々京都に帰るかも知れないという予感があって、ただ、京都に帰ったところでそこはすでに以前の京都ではないだろう、必ず何らかの屈託があるだろうからだ)、自分がどこにあるべきなのかというのがよく分からず、そもそも自分があるべき場所などというものはないのだろう。京都再び、とかいって、じゃあどこよ、ってのが想像できない。それは東京に出てくるときと同じつかみどころのなさで、いっそ次は岐阜とか仙台とか福岡とか、縁もゆかりもないところへ飛んでゆくほうが清々しいのかも知れない。そういう人事を期待するのもどうかと思うがな。沖縄は相棒に却下されました(理由:ゴが出るため)。


9月13日(土)横浜へ向かう

 横浜線車中からハムさん(四国代表)やなおさん(近畿代表)に連絡すればここは関内だ桜木町だ倉庫だと言われてオレはどこに向かっているのか。わからないまま桜木町に着いてバスターミナルを見やるに、百円バス発車10秒前。そりゃーと飛び乗ったところで当然のように間違ったバスであり、横浜市内を東廻りに半周してから赤レンガ倉庫に着いた。みなとみらいというのは後付けの知識で言うと90年頃に行われた何らかの万博跡地なのだそうだ。ポーアイみたいなもんですね。よくよく考えるとオレは万博というものに参加したことがない。はな博も当時高校生であったが黙殺していたな。はな頭巾ちゃん号(京阪電車)も黙殺していたな。まぁそれはよいとして、横浜市民として初めての横浜である。
 夕方から桜木町辺りで同期会であり、飲んで踊ってはしゃぎ過ぎた。仕事の話になってしまうのは同業者だからであり、早くみんな退職しよう。何かもっと幸せになろう。宿はゴージャスであり、夜更けまで眠かった。実はいつもと同じぐらいの時間だった。窓からは海が見えて山下公園なのだった。


9月12日(金)仕事について赤裸々に

 仕事嫌いな人にとって仕事について書くのは苦痛でしかないであろうから、こういう種類のサイト日記で仕事のことについて書かれているというのはあまりないのではないかと考えた次第で、私にとっては信じがたいいつまで続くんだろう、そんな一日について書いてみようと思う。鬱。
 朝は9時に出勤である。昨日の残務を整理しながら今日の電話をこなしているとあっという間すらなくお昼12時で昼休みなわけであるが、昼から打ち合わせで余所に行かねばならないので今日絶対にやらねばならないことをやってしまうという決意のもと先方に嫌がられながら電話をかけ続け反論は一切封じてよろしくお願いしますとごり押ししながら弁当を食べる。ともう電車では間に合わないしタクシーで、タクシーのくせに汗だくだくかいて余所に着けばロクに準備もないまま打ち合わせでいいようにやられる。やられ続ける。14時。16時から別の報告会で微妙に二時間空いてしまうわけだがどうしても今日中に決裁受けねばならない文書を持ち回り、何で今ごろこんなもん抱えてるの?日程も決まってなくて何やってるの?いやこれは怒ってるんじゃないよ、仕事のやり方としてちゃんとやっとかないと後で痛い目にあうよ、僕はしばかないけど誰かにしばかれるよ、としばかれながら、すみませんすみませんと繰り返してハンコをもらい、某さんから電話があったよどうしても電話くださいだって、という電話があって、某さんに電話すればどうしても今日レビューお願いしたいんです、っていわれても戻り何時か分からないよというと、じゃあ今からそこ伺いますというわけで15時からレビュ。意味なんて当然のように分からなくて、はい、はい、はい、ポン(ハンコ)。15時半になれば余所部署のほにゃららさんに捕まりどうなってるのこれ進捗と詰められ君のところが案出せって言うからこっちは出してるのにどうなってるのこれ進捗と詰められいらないんなら案返してよ僕の作った案なんだからさ、じゃあ返します、とは言わずに、だから昨日も言いましたけど検討中です勘弁してくださいとなれば16時で済みません今から報告会なんですとかいってばっくれたさきは会議室だがそこでもまた別案件というか平成16年4月向けの案件について始まっちゃってるんだけどこっちは日々の雑務(ほんとに、これが絶望的なくらいに雑務だ)に追われて全く手なんかつけられないよ、まだどの案件についても整理できてませんというと、ひとつずつ報告せよと言われて、ひとつずつ未着手です未着手です阿呆のように繰り返して、じゃあこれはレイアウト付けるだけだから中間向けに、これは要望元と詰めてるんだよね中間向けに、いや、詰まってません最終向けにしてください。はぁ?打ち合わせしたんじゃないの?打ち合わせてますけど詰まりません。詰まる気がしません。最終説明会までに人類が滅亡するかも知れないので最終向けでお願いします。お願いし続けて18時15分。やれやれ帰って残務整理だ。と鞄かつぐと、今から16年4月向け立ち上がり式だから。いや、ていうか無理です。今日中にやる仕事山積みです。飲み会、ありえません。あそう。たいへんだね。ビールごぼごぼ。かんぱーい。ビールごぼごぼ。これから半年間しっかりがんばってください。ビールごぼごぼ。ハハハ。何でも相談しろよー。ビールごぼごぼ。ごぼごぼ。意識が戻れば21時で、帰宅とは逆方向に地下鉄走らせて、21時30分の月を見上げて、マシーンと化しつつ残務処理(これが絶望的なくらい残務だ。いつの仕事なのか。知らないほうが幸せか。そもそも間に合っているのか)。ひたすら残務処理(これが絶望的なくらい残務だ。いつになったら新しい仕事に手を付けられるのか。新しい仕事も残務にならない限り始められないのか)。人間を回復して頭を上げれば誰もいず時計は23時40分。南北線終電何時。23時57分。泊まりは嫌。戸締まりして鍵しめて戸締まりして鍵しめて、警備員室ダッシュ。ほ、ほなさいなら。麻布十番転がりながら23時52分の月を見上げる。見上げる月は。ぐるぐる。
 というわけで冷静な今振り返るとこの日は残務処理以外ほとんど進んでいないことになる。今日の仕事は明日になれば残務だからつまりは永遠に残務だけが残り続ける無間地獄。というのが嫌なので堪え難いのでサラリィ少なくてもいいから残務の少ない国で静かに暮らしたいと考えております。


9月11日(木)お国言葉

 京都の職場から電話がかかってきたときに、私のことばがもろに関西弁になっていたと、ぼちぼちですわ、ハッハッハ、とのたまっていたと後から同僚に指摘を受けた。実は京都の元上司との会話中、それは多分に意識されていたことなのだ。つまり、あえて関西弁を用いていた、ということになる。普段の私はたぶん関西人間のことばをしゃべっていないのだろう。妻は尾張の出身であるにもかかわらず、尾張人間のことばをしゃべっていない。そういう家族関係が私の言語環境をねじ曲げてしまったのであろう。
 関西人は我が強いのでどこいっても関西弁だというのは必ずしも当たらないとそういうわけだ。そもそも私が関西人であるという保証もないわけだし、関西人とはなんぞやと問われると、関西人とは関西の人ですと、トートロジカルな回答しかできない。関西人とは関西弁を話す人だって決めちゃったらオレは関西人ではないよな。オレは関西人ではない。むしろ火星人だ。火星人なんだ。そろそろ里帰りしたいなぁ。30年ぶりに。


9月10日(水)火星のぽつり

 昨夜のことであるが、仕事帰り月のすぐ右下にぽつりと点があるなぁと見えて、そのことを今日隣の係の中島さんに言うと、私も昨日飯田橋で、飯田橋を渡っているとおじいさんに呼び止められて、呼び止めておじいさんが言うには、月の近くにぽつりとあるじゃろ、あれはなんじゃと。誰かに問いたかったがあんたが通るまでだれも通らんかったんじゃ、と。あのぽつりは何かって中島さんは火星であることを知っていたので、あれは火星ですよ。火星が接近しているのですと説明するとおじいさんはたいそう喜んだのだそうだ。火星には運河があって、その運河を蟹獲りの船が行き来しているのです。火星の蟹は火星ではワシントン条約で禁止されているので密漁が絶えないのです。とそれは中島さん嘘であるが、中島さんがおじいさんにそんなことを言ったかどうかも分からないのでつまりは言ったかどうかも嘘である。今夜の月も丸くあったが、火星のぽつりは少し離れて見えた。


9月6日(土)ひとりでできる

 例によって周回遅れであるが(この周回遅れというのは流行に間に合わないというだけでなく、例えば朝起きる、顔を洗う、ご飯を食べる、着替える、とかいった日常生活の局面においても自分は極めて周回遅れであるという認識をようやくにして持ちつつある。ようやくというあたりも周回遅れたるゆえんであろう)、「ほしのこえ」を観る。アニメのことは分からないので当たり前の感想としては、すごいなぁ、ため息。ひとりでやった、ということに羨望のため息。ひとりでやるということはマネジメントにおいて強靱な精神力が必要なのだと思うけど、ただひとりで作った作り込んだという事実のみを取り出してこの時期、激しい嫉妬を覚えるのです。
 それからネットで検索しても詳しいことが分からなかったのだが、石原慎太郎東京都知事が絶賛している、と、帯にあった。どういう文脈ですか。シ〜ジ〜すげ〜とかじゃないよね。


9月5日(金)脳内デバッグ

 デバッグは「プログラムの不具合(バグという)を発見し、修正する作業」(「アスキー デジタル用語辞典 」)のことをいう。実際にプログラムを走らせてみて、あやしい挙動をしないか確認するのである。机上デバッグというのはこれを机の上でやる。つまり紙と十円玉を用意して、こっくりさんこっくりさんイエスですかノーですか?とかやると十円玉がすいーすいーと動くのである。それはデバッグではなくてこっくりさんである。さておき、脳内デバッグというのは脳内においてアプリ環境を作り出し実際に走らせて不具合を発見しようという試みである。脳内エミュレータである。これができるようになると、もうコンピュータは必要ない。脳内ですべて完結するからである。脳内完結である。ハリンドウズ’74である。妄想との相違点はといえば、デジタルかアナログかといったすこぶる政治的な話になるので注意が必要。どっちがデジタルでどっちがアナログかは、こっくりさんに決めてもらうしかないのである。当のこっくりさんはといえば、極めてデジタルな存在であるといえよう。イエスノーまくら並に。


8月30日(土)復刊希望

 読書ページを更新したので動作確認をしようと思って自サイトを訪れると復刊ドットコムへのリンクが張られており、おぉそういえばそんなこともあった、と、ぽちっとな、と、クリックしてみれば…、一票…。一票ですか…。この一票誰ですか…。私ですか…。おもしろいんです!おもしろいんですよ!というわけでここからもリンクはってみたり。絶版本を投票で復刊!


8月29日(金)時間割

 職場の建物に入っている郵便局が廃されるという話を聞いたので、保険でも買ってみようかとまでは思わないが、記念押印ぐらいはもらっとこうと、満月押印にしてもらおうと、昼休みにでもと、と、で、結局行けないのである。そういう仕事ぶりである。気がつけば夜遅くなってて、だけど一日何してたのかわからなくて、ダメな人の典型みたいな毎日が続いている。みたい、ではなくてダメな人そのものである。ダメはダメで仕方ないが、こういう標準で労働がつらい、しんどい、どうにもならない、というのは多分ふつうの一般の労働者が強く憶えていることだろう。こっちに転勤になるまで、そういうストレス知らなかったよ。大人ってのは厳しいなぁと、この歳になって初めて実感することになったよ。僕としてはやはりこの状態は標準ではないので、騙し騙し期限つくって騙り切るしかない。大人には簡単になれるものではないよと知った。同時に現実は簡単に終わるものではないよと知った。


8月23日(土)iBook提げて街へ出よう

ていうか修理屋さんなんですけど。渋谷のクイックガレージへ。ハードディスク交換5万2千円ですね。さらりと言われる。ご、ごまんにせんえんですか。ここでオヤジがニヤリ。これはあくまでも修理の話で、ハードディスク換装作業だったら1万2千円でできます。なるほど!アイブック預けて新宿へ走る。ビックカメラ駆け込んで、ハ、ハ、ハードディスクください!チーン。40ギガで2万円だった。もって再び渋谷へゴー。ハ、ハ、ハードディスクとっかえてください!チーン。てなわけで。修理より二万円安くて容量二倍になりました。20ギガでも持て余してたのに40ギガというのは東京ドームで三角ベースをするようなものではないか。世の中のビックカメラには160ギガとかいうのまで販売していて、これは一体何を保存するのか。10キロのジフだったら1600万枚保存できます。15キロの自負だったら1066万枚保存できます。できますね。


8月17日(日)突然

うたたねから覚めてマックを動かすと、ハードディスクのあたりから、カチャカチャといやな感じの異音がする。触っているうちに、OS9側のボリュームがマウントできなくなった。はかないなぁ。何年か分の蓄積ファイルが午睡の間に消滅だものなぁ。デジタルだよ。


8月15日(金)ニンゲン枕

帰りの電車。珍しく座れて(盆だからな)本など読みながらうつらうつらしていると、すとん、と腿に重柔らかい衝撃。となりに座っていたおねえさんの頭だった。私の鞄を枕にして完全に眠ってらしった。つまり横になっていらっしった。おっちゃんだったらリフティングで起こすところだが、どうにも複雑なうれしいようなうれしくないような心境で本を読みながら目は冴えたが眠いふりをしてごまかした。青葉台に着いても起きる様子なし。


8月9日(土)ヒルズロッポンギ

ヒルズといえばロッポンギで職場から歩いていけるにもかかわらず初めて訪れた。台風がきていた所為か客足は遠のき気味だと思われた。52階だか53階だかに上がってみれば東京都港区あたりを一望できるのであった。職場も見えた、見たくはない。麻布十番へと下りる帰り道に見えるのはこのビルだったのだな。何ビルかといえばモリビルなのだな。いつものようなメンバで昼ご飯を食べたりお茶を飲んだり唐突に眠くなったりしているうちにロッポンギに日は落ちて、気がついてみればロッポンギではないところにいた。ロッポンギというとかなり強い印象を受けるな。ポンギのあたりが最強なのだろう。家賃七十万円のマンションが傍らに建っていて、オレにそれを払うだけの財力があるなら、家賃4万円のアパートに住んで細々と十年間生き延びてみるのであろうな。お金を使わないで幸せになれる方法を教えてほしい。つり革につかまり損ねて前の人に空手チョップしたときにはつまり銀座線に乗っていたよ。日比谷線はちょっとのところ不便ではないか?ロッポンギヒルズはいささか難しすぎやしないか?1/1000東京モデルのビルをひとつ口に含んでみればそれは酸っぱい風の匂いがした。汗だろう。


8月2日(土)ガンプラ

プラモでもやらんとやれんのでプラモ屋さんを訪れた私。プラモっちうたらガンダムじゃろう、ということで、ズゴックを買ってみた。接着剤いらんのにタミヤセメントまで買ってしまった。勢い余ってジオラマまで製作してしまった私。シャアの奇襲が成功してアムロ大ピンチ!のあまりに有名なシーンを、見てきたみたいに忠実に再現してみた。リアルだ。リアルすぎる。ある意味写実主義である。ていうかガンダムあんまり知らない私。
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