日々の暮らしも(2003年)


7月29日(火)近況

 微妙に帰りの遅い日が続いている。でも全然疲労してなくてこれはつまり仕事をしていない証拠であろう。よその支社に電話したら担当が変わっていて、新しい担当者は研修同期の湯川さんだった。研修中はほとんどしゃべったことないのに仕事のことでは妙に馴れ慣れじみている。そんな自分が自分ではないみたいで夕方のそれは眠かったり心地いい脳のぼんやりの中で感じる離人体験ではなかったか。あちこちで電話が鳴っていなかったか。無理なお願いをきいてもらった。前の担当の人はいきなり「加藤です!」とかって電話をかけてきて、どこの加藤ねんあんたはと心で突っ込み、突っ込みを入れるのに夢中で全然用件を聞いていませんでしたというような事態が多発して(オレの中では)問題化していたがその人はどこかに行ったようだった。Yonda? のしおりを集めている。置いているのは、駅前の文教堂なのだが、これが3階建ての大きい方ではなく、マンガやティーンズ文庫を専門に置いている小さい方なので不思議だ。しかも新潮文庫は置いてなくて何の販促なのか。コンプリート目指したいが、こっちの店では買うものがなくて苦労する。レジ前にあるので何食わぬ顔で奪取というわけにもゆかない。渋谷のブックファーストにも置いているが、レジがお姉さんなので一枚しか取れない。兄ちゃんとかおっちゃんだったら何枚でも取るのに。これはつまりお姉さんには相手性を覚えるが兄ちゃんやおっちゃんはすでに他者ですらないということで、ひでえ。差別主義も甚だしいな。マザー1が終わらない。終盤がきつい。マザー2をやりたいが、ギーグを倒すまではやれぬ。


7月21日(月)文庫

 『見えない都市』やら『西瓜糖の日々』やらが河出文庫から出ているとの情報が入り、戦戦兢兢と本屋へ侵入、ほふく前進で。あぁほんとうだった。いつかどこかが拾うのだろうとどこかというのは講談社文芸文庫あたりだろうと、でも「文芸」ということばに違和感を覚えていたところ、それはつまりそのまま河出の海外モダン・クラシックスというシリーズだった。しかも今後の予定には『柔らかい月』やら『宿命の交わる城』やら微妙に入手困難ライン。持っているのだ。しかもそれなりに対価を払ったのだよ。ただ『西瓜糖』もそうだけど『裸のランチ』やらジャン・ジュネの『葬儀』やら、河出海外小説選で出ていたものがシリーズに入ってくるみたいなのでこれはかなり期待できるていうかビュトールとペレック出してください、という意味を込めて『見えない都市』と『西瓜糖の日々』を購入することによりシリーズの存続に貢献してみました。カルヴィーノはもう出さないでくれ、でも出たら買う。『フィネガンズ・ウェイク 』も文庫化なのだな。それはいいのだが、柳瀬訳『ユリシーズ』はどうなったのか。五年ぐらい前に三冊出たっきりなのではないか。いい機会だから読んでみようというオレの心意気は以来宙に浮いたままなのだ。学生時分に好きだった女の子がジョイスゼミにいて、『ダブリン市民』を一生懸命読んでいたのを思い出したが、もはやそんなに切なくなるようなことでもないし、僕はまだ『ダブリン市民』と『若い芸術家の肖像』しか知らないのです。


7月18日(金)席替え

 人事異動に伴い職場席替え、レイアウト変更。席替えは楽しい。大人でも楽しい。たとえ出てきてはいけない資料が出てきたとしても。ただ一つ教訓になったのは、机の前に座っていなくても、タスクはちゃんと発生している、ということでした。
 フレッツがADエスエルが12メガになっているはずなのだが、計測サイトで計測しても8メガ時代とあまり変わらない、ていうか信じたくないが微妙に遅くなっているような気さえする。実測1.5メガぐらい。1.5メガのADエスエルよりは速いと思われるが納得いかないというかそんなもんですか。モデム3ヶ月前に買ったばかりで悔しいので24メガにはしません。


7月15日(火)ぐるぐる

 通勤経路新規開拓とばかりに南北線パッセンジャなのだが、逆方向に、目黒線、大井町線、田園都市線と継げば、渋谷を通らずに帰りうることが判明した。しかも永田町経由と時間的にあまり変わらんかったりする。東急七不思議。あまつさえ微妙に安い。40円ぐらい。行きと帰りで別経路を採れば、二子玉川を起点としてぐるっと一周することになる。何の回りを回るのか。中心には一体。地図を入手して調べてみたい。歓送迎シーズンで人間もぐるぐるなのでよくわからない。それから今日気づいたが、銀座線は上りと下りで深さが違う。


7月12日(日)いつかはフライパンで

 これは何かと、いわゆるかすてら。ほんとはフライパンで焼くのだが、日和ってオーブンレンジ。とかいってオレが作るわけではないのだ。偉そうなこといってるとお八つ抜きよ。てなわけで、パックマンカット。


7月11日(金)ひそかさん/公言する幸せ

 ハムトノひそかさん及び僕。渋谷にしてもらう。銀座線だし半蔵門線だし。愚痴が比較的少なかったのは慣れてしまったのか麻痺したのかひそかさんがいたからか。正直僕はひそかさんが得意ではなく、僕の得意なのはYG性格検査でB型(不安定積極型)になるような女の子であるが、ひそかさんはおそらくC(安定消極型)からD(安定積極型)の間であろう(もちろん性格なんてものは嘘なので、関係を表すのに最大限の譲歩と妥協と汎化を図った、その産物に過ぎない)。埼京線のハムトノと別れ、帰り一緒になる電車。あんな内容の会話を交わしたのは初めてか恐ろしく久しぶりのことなのでこの年齢に至っては恥ずかしくて書けないけれども、誰もがひそかさんのことを好きといってはばからない理由がわかった。苦手なのは変わらないが好きであると思った。幸せになってほしいよ。僕なんかが祈らなくても幸せになる人の幸せを祈る幸せ。帰宅すると小包が届いていて、果たしてなおさんからであった。CDを貸していたのとあらたにCDを貸してくれた。なおさんも幸せになってほしいよ。他人のことなんか知らんもんねの僕が他人の幸せを祈り幸せな気持ちになる幸せ。幸せを公言する幸せ。ていうかアホ。それから念のために信仰告白しておきますが、男子の幸せは祈りません。


7月5日(土)多すぎる/牛乳プリン/自転車問題

 
朝は散髪、理容師のお兄さんに、梳いても梳いてもキリないんです勘弁してください、と言われる。売るほど採れる。
おやつに牛乳プリンをいただく。デコラティブな趣味にお子様度も最大級。
そして自転車問題。京都を出るあたりで前輪のタイヤがかなりへたっていて、でもまぁ引っ越してからでいいや、と、引っ越してからはあんまり乗らないしいいや、と、だがそろそろにぼちぼちにやばかろうと思って、桜台にある自転車屋に行ったわけさね。自転車屋前に自転車をとめ、ガラス扉に手をかけると、張り紙が目に入る。「自分だけ入ってください」。はい。自分だけ入る。いきなり形而下では解釈できなさそうな警告である。「自分」って体育会だと一人称だし、関西弁だと二人称だ。二人称だが、ほぼタメぐち。目上の人や客に対しては使わない。なので一人称だと解釈できるのだが、張り紙の貼り主が店の人だとして、店の人だけ入ってください、って意味か。客は入ってくるな、って意味か。それよりも何よりも、自己に対して命令形というのは尋常でないな。自己が自己と他者とに分裂しているな。それはまずいな。というかむしろそういう趣向なのか。入るといきなり、ペダルとサドル、とっちがハンドル?なんて禅問答をふっかけられるのだ。それはそれでおもしろいな。自分、というのを客だと判断しても恐ろしいというか、要するに背後霊とか守護霊とかご先祖さまとかは連れて入るな、っていうことですね。あのう、タイヤ交換して欲しいんですけど。「うち、タイヤ、黒しかないんですけどいいですか」。いや、ダメだろう。ベ−ジュじゃなきゃダメだろう。ほなさいなら。というわけで近所自転車屋はダメだったのでインタ−ネットイエロ−ペ−ジで自転車屋調べたら、青葉区には自転車屋10軒ぐらいしかないことが判明した。少ない。少なすぎ。桜台はあの一軒だけだし青葉台にも二軒しかない。藤が丘の方に1軒。とりあえずそれ全部回ったけど「黒しかないよ」「黒じゃなきゃタイヤじゃないよ」「タイヤなんか嫌いだよ」というような具合で、京都ではどこの自転車屋でも交換できたのに、この自転車に対する体温の低さは何なんだ。


7月4日(金)Underground For You

 珍しく飲みにいこうなどと誘われ早く仕事終わらしたのにごめん終わらないといわれ家帰ってもごはんないしハムさんにもふられるし赤羽橋へととぼとぼ歩いていると東京タワーがいつもより迫っているっていうか駅を通り過ぎていた。そのまま進んで飯倉という交差点を左へ(西へ)折れ、どこにいるのかわからない。六本木?十代の終盤と二十代の大半を京都で消尽した者としては碁盤の目になってないとどこが何なのかさっぱりわからない、これは風土病と呼べるだろう。二条油小路上ルとかいってくれんと。座標で示してくれんと。六本木はへそを出した娘やへそを出した外国人やへそを出した大使館員が跋扈していた。六本木通りを跋扈していた。一丁目から十二丁目までを跋扈していた。仕方ないので十三丁目を歩いた。十三丁目は地下鉄が通ってなくて困り、タクシーを止めればへそを出したドライバが親指を立てる。実際どうやって帰ったのかわからないよ。乗る駅が違うと違うのに乗っているような気分になるが降りる駅が同じで不思議。僕らを乗せた電車は不思議。でも、もうすぐ大江戸線はやめます。好きなんだけどやめます。じゃあ何線に乗るのさ、ってところで、ドラえもんを思い出した。のび太のパパがラッシュは嫌だとかいって、自分ちの地下に地下鉄を通すって話があったよね。それを採用しようと思う。ハリ団地下鉄ハリン線。ちうことで。ハリ団っていう時点で、何の団なのかわからず、切符の買い方がわからず、万が一買えたとしても自動改札を通れない。切符の裏が白いから。まぁそれはそれで精算するとして、蒸し蒸しと蒸し暑い季節皆さまいかがお過ごしですか。私の方は相変わらずです。といいますか、私を乗せた電車が停まってくれません。全然知らない駅を通過していきます。乗客は一人減り二人減り、三人、四人、五六人。気がついてみれば周りはみんな車掌さんでした。互いの切符を確かめているようでした。僕の切符の駅はまだなのでしょうか。僕はただ僕を、僕のくつを、僕の靴の靴べらを、僕の部屋に連れて帰りたいだけなのに。恋人が待っているを久しぶりに聴いて待ってないだろうと切なくなって世界がどんなに失われた、全くもって虚ろだったとスローガンのように繰り返しても、そんな90年代で生きている人がここにいるのだといてもいなくても同じだと仮定して。


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