日々の暮らしも(2002年)


3月31日(日)桜と墓と葛藤と

 妻実家へ里帰り。墓参り。瀬戸市営墓地には桜の木がたくさん植わっていた。桜って咲いてみないとわからない。今まで桜の咲くような時期に参ったことなかったってことだ。妻父なむー、妻なむー、そして僕なむー。帰りの京都駅で旭屋に。ジャバがまるでわからないので何らかの参考書籍を求めようとジャバコーナで立ち読んでいたのだが、というよりもむしろ読んでいるふりをしていたのだが、読んでいるうちに、というよりもむしろ何らかの文字列をぼんやり眺めているうちに、暗澹たる気持ちになって、たいへん悲しい気持ちになって、泣きながらジャバコーナをあとにした。さよなら、ジャバ。フォーエバー。失意のうちに流れついた推理小説コーナ。ななななんと『オイディプス症候群』。何故、この、ベタな。ミステリとオイディプス。もう一度言おう、何故、この、ベタな。ほんとに21世紀探偵なのか。何らかの私に知れぬ文脈があるのか。衝撃と狼狽と葛藤と、結局ジャバ小遣いで買うてしまいましたよ。まぁヤブキカケルだし、いつかは読むのであろうから、と言い訳しつつ、はずせんのだよ、これと天啓シリーズだけはな。


3月30日(土)花見

 高野の川べりをサバつれて散歩。すでに葉の混じる、ギリギリの花見であった。花より云々の故事に倣い、人間は三色団子を食べた。サバはみかんをもらって、満悦だった。その後人間は昼寝して、サバは喜びを全身で表現した。そろそろ帰ろうか、という掛け声で人間は腰をあげた。サバは久しぶりの外出に疲れたみたいだった。


3月24日(日)親族

 墓参り。東山で。父母相棒僕。五条のあたりで父母と待ち合わせた。見知らぬ車から母が手を振る。買い替えたらしい。クラウンという名のいかつい車だった。どうよ、今さら、父。いい大人のくせして、キャラクタの定まらぬ男よ。そういうあたりは似たと思う。その夜、弟から電話がかかってきて、郵便局で通帳つくろうとしたら断られた、と。そんなことオレにいわれても。「今どこにおんねん」「さいたま」・・・。って、どこやねん。というよりもむしろおまえは誰なんだ。


3月22日(金)白いやつ

 某でいうところの相棒が、アップルストアにてアイブックを注文!うがぁ!悔しい!この春いちばんの悔しみだ。し、しかもオレさまのアイマックさまからネットつないでアップルストア!?クリッククリックプラグイン!?どういう了見?ハウ・アー・ユー・リョーケン?あ、あまつさえエアマック?ム、ムセンラン?ムガア!富士通ノート(健さん)のエイシーアダプタがいかれてしまい、一ヶ月かかるといわれ、そんなに待てんと、買い替えに達したらしい。達するな!そんなんで達するな!もとより某はマックユーザであり(96年頃?)、それが中国語環境をかんがみてウインに転び、現在に至っている。ウインドーザーである。すなわちウインドーザーなのである。来るのか。あと一週間で来てしまうのか。白いやつなのか。連邦の白いやつなのか。若さ故の過ちは認めたくないのか。オレもポータブル式のマックが欲しいのだ。ポータブルしたいのだ。くー、財形解約してやるー。タタタ(郵便局へ走るオレ)。
 ていうか七月まで待ってみます、僕は。


3月12日(火)オレの人事

 「中央」で一ヶ月、訓練されることになった。実施時期「未定」。2002年度中にはあるんだろうか。訓練後は戻ったり戻らなかったりらしいし、またしても先行き半透明な状況へと放られて置かれて弄ばれて。上部組織としてもわれわれをそういう半透明に込めて、ほらね?そうでしょう?やっぱり?こっちでしょう?などときりきり舞いなのであろう。夏はやだなぁ。冬もやだけど。どうなるよ来年四月とか。なんて気にしてるふりをしてみたところで、ただもう流れに身を任せ、速いのか巻いているのかさえわからず、目なんか瞑っててわかるはずもなく、無防備に腰までたぷんとつかっているのでしょう。でしょう?


3月10日(日)東風吹かば

 植物園まで。自転車で。小春の日和。週末カメラマン。パパ、ママ、僕。娘二人。老夫婦が茹卵を半分ずつ。それも満開の。


3月9日(土)泣くな

 『涙流れるままに』で予定どおり泣いた。ダイニングで読んでいたのであるが隣の部屋に逃げて泣いた。さめざめと。相棒は先に読んでて、しかも途中で真相がわかったって、話したくて話したくてうずうずしているのだ。非常に危険なミステリ読書だった。私は例によってさっぱりわからなかった。この記述は何故こんなにもくりかえしくりかえし現れるのかと、心底いぶかしんでいたにもかかわらず、ただいぶかしむだけの間抜け読者であった。こんな読者ばっかりだったらミステリ作家は楽ちんだろう。気づくのはいつでも読後、そういうのは気づくと言わない。


3月8日(金)頼れる上司

 年休明けの朝は重い。重い重いと思っていたら、後ろのタイヤがパンクしていた。松ケ崎駅に乗り捨て職場へと急ぐ。
 すごくややこしい謄本を見た。長男、とか、次女、とか載るところに、ただ「男」とだけあったのだ。お、おとこですか。そういえば先輩は三男が二人いるのを見たことがあると言っていた。ご丁寧に「三男」と「参男」だったそうな。
 さて深谷さん本宮さんとごはん。深谷さんは三児の母でうちの実母とほぼ同世代にあり、僕より二つか三つぐらい下の娘さんがいらっさる。ご主人はよく菓子折を持って妻職場に現れる愛妻家でらしって、深谷さんを愛すという文脈においては共感できるが、愛妻家、って、どう、なん、だ。深谷さんには頼って頼って頼り倒さん、と、ほんとにいつもお世話になっているのです。


3月2日(土)御礼

 二万ヒットだ。みなさまありがとうございます。一万ヒットのときはヤギがめーと祝ってくれたが、今回はどんな生き物に祝ってもらおうか。沈みがちな昨今なので景気よく祝ってもらいたいものだ。つまるところパンダとかそういったものだ。
 二万ヒットに二年弱かかったので二百万ヒットには二百万年弱かかる。光だと二百万光年弱も進んでしまう距離だ。いや、距離ではなくて時間だ。そんな種類の時空間も歪む、天文学的数字だと言いたい。
 二万ヒットというのはすなわち二万本安打であり、プロ野球選手ならすごいことになっているだろう。張本だって百年ぐらいかかるだろう。それを二年足らずで達成してしまったということはこのホームページはプロ野球ではないということか。プロ野球なら当然のように月間MVPだ。オロナミンCにも出演だ。ホームラン王だ。三冠王だ。猛打賞だ。
 二万ヒットが格闘ゲームならえらいことだ。さしずめエドモンド本田だ。二万張り手だ。ヨガ折檻よりも(精神的)ダメージ大きいだろう。昇竜拳が波動拳になるだろう。フルポリゴンだろう。
 二万ヒットは売り上げベストテンとしては物足りない。ミリオンセラーに届かない。たいやきくんに及ばない。まいにちまいにちぼくらは鉄板だ。そりゃイヤにもなるだろう。
 そんなわけで本日は曖昧な視点から二万ヒットについて考察してみました。
 昨日のつづきでライフなど聴いてみたらやっぱり切なくなったよ。8年ぐらい前か?イエ〜イって。


3月1日(金)さよならなんて

 オレの人事には違いなかった。「今回はほんとに残念です。不合格です。次はがんばってね」って。次なんてないし。結局京都からは離れられない運命なのだ。あるいは楽観主義が罰せられたのだ。現在の職場で僕に成し得ることはすべて成しました。後は何事をも成さないか、成し得ないことを成さんとするか。いずれにせよ厳しいです。年度末です。
 小沢氏の新譜を聴いてみた。正直、昔の方がいいなぁと思てしまったよ。


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