西瓜糖の日々、2002年1月。


1月31日(木)科学と学習

 基本情報技術者試験を春に受けようなどと思い立つ数日前。ちょちょいと勉強すりゃちょちょいと合格、と高をくくっていたが、過去問題をやって沈んだ。午前問題は概ね二割五分の正答率、四者択一形式であることから妥当な数字であるといえよう。ゼロからはじめられるといえよう。午後問題は壊滅である。壊滅というか滅亡である。つまりは無残である。用語からしてが無理解であり、オブジェクト指向ってオブジェクト嗜好に似たものだと思っていた。「オ、オレェ、オブジエクトォ、ダ、ダイスキダァ」(危険)みたいな具合だと思っていたが、実はまったく違うことが判明した。これからはオブジェクトで行きましょう、というような雰囲気らしい。オブジェクトは翻訳すると物なので、つまりは物の時代である。はじめに物ありきであるからして、物がなければ始まらない。取引にならない。「例の物を」「は、かしこまりました」というので非常に密談くさいプログラミンであるといえよう。ていうかすみません。こんなんでソフトーとかいってすみません。何で動くのか、わからなくて動いてます。そういえばヘリコプタの飛ぶ原理は科学では説明できない、というような話をきいたことがあるぞ。
 つまりは、なんでもかんでも科学なのではないということだ。日本人は他国人に比べて科学常識がない、という記事を最近読んだが、そもそも科学常識って何だよ。人類の祖先はサルだ、とか、大陸は少しずつ動いてる、とか、知らんぞ、そんなことオレは知らんぞ。こんだけリベラルな(と僕は信じる)現代社会において、「人間の性別は父親の遺伝子が決める」などという乱暴な常識があってたまるものか。あとどう考えても、地動説より天動説の方が正しくないか。月も星も、太陽も、みんなぐるぐる回ってるじゃないか。なぜわれわれは、科学常識というものに捕らわれるのであろう。己の知覚よりも他者の言説を信じてしまうのであろう。科学にしろ宗教にしろ、自分以外の誰かが、認めた実験であり、聞いたお告げであり、それにひきかえ私は無知で無力であまりに小さく、すみません。オブジェクト指向よくわかってません。これからぽちぽち勉強していこうと思っております次第であります。ヘリコプタ云々の話はデマといいますかもしかすると夢であったかも知れません。


1月29日(火)ペルリナンバーワン

 ボンテンペルリのつづりを調べようと思いグーグル検索にかけたら、オレの書いた『わが夢の女』の感想ページが筆頭に挙がった。挙がってしまったじゃないか。なんてことだ。マンダリンはナンバーワンボンテンペルリサイトなのか。全国40万のボンテンペルリファンはどうしたのだ。もっと熱くボンテンペルリを語ろうではないか。ボン・テン・ペルリ。ボ・ン・テ・ン・ペルリ。やはりペルリのあたりがネックなのか。なんならパラリでもポロリでもかまわないぞ。いっそヒョロリはどうか。ハンペンヒョロリでどうなのか。どうだというのか。こういうふうにペルリペルリ書いてグーグルにアッピールするからますますナンバーワンペルリサイトになってしまうのであった。ていうか何でもかんでもマックの前で済ませようとするその姿勢に問題があると感じた。中表紙にちゃんと書いてあるじゃないか。それからペリーヌ物語にボンテンペルリ夫人なる人物の登場することが知れた。インターネットの罪と罰である。


1月24日(木)屈託

 何とは無しに人恋しい昨今だ。本日は研修(研修の多い職業である)で後会があるに決まっているのだが、同居人には晩ごはんいらんといわずに出てきた。晩ごはんいらんといわなかった、だからといって晩ごはんを家で食べることにはならない。遅ければどうせ先に寝てしまう相棒だ。だけども僕は有川くんの屈託なき笑顔を拒むのであった。こんなオレなど誘ってはいけない。申し訳がないです。ほんとうにごめんなさい。人恋しいとはどういうことだ。友だちの年賀状が千葉からやって来て、そう、知らぬ間に東京へ転職していたのだった。僕の大阪宛賀状は届いたのだろうか。もう二年も会ってないけど友だちといっていいだろうか。ちっとも知らなかった、元気でやってますか、と、メールを書きたい。どういうふうに書こうかなぁと考えているうちは楽しいが、いざ送信となるととんでもないストレスだ。いっそ年賀状の方がつまりはあいさつなのだし頓着なしに出せていい。就職するまで習慣がなくてまったく気づかなかった。青春狂走曲という歌に「君に会ったらどんなふうな話をしよう。そんなこと考えると楽しくなるんです」ってのがあって、そのような気持ちをもてあましているのです。


1月18日(金)先輩忍者

 本宮さんと。あああ、愚痴は言うまいと思ってはいたものの、どうにも止まらず愚痴愚痴である。本宮さんは男であり、それだけが僕との共通点であり、まったく人間が違うのである。端的にいうとアウトドアであり車でありゴルフであり二児の父である。思想的にマッチョである。さらに端的に言うと80年代なのである。僕はたぶん90年代だ。とても僕と同じ職業だとは思えない。いびつである。職業が同じでなければ本宮さんのような種類の人とは交わることなどなかったであろう、人生。
 まぁ人生はおいといて、仕事、圧倒的に正しいのが本宮さんであり、正しいだけでなく、できるね。僕が社長なら給料倍にするね。くやしいね。くやしくはないが、おしいね。何故におしい人ばかり転勤してしまうのであろうか。残留するのは僕のような人間なのである。僕のような人間が地縛するのである。どこにもいかない。
 気が短い、ってのは似てるかもね。向こうは断然大人だけどね。僕はどうしていつまでも、大人になれないか。


1月16日(水)審判

 代打の切り札だった彼を日本シリーズ第七戦の先発投手にしようと決めたのは、彼が蜜柑を投げてよこしたときだった。尋常でないほどのスナップに、蜜柑は監督の手の中めりこんだ。重かった。なんなんだこの手首の動きは。長いつきあいだが今までまったく知らなかった。チームの窮地を救うのはこいつしかいない。監督の申し出に彼は無言だった。やっと気づいたか、そういった様子でニヤリとうなずいた。蜜柑は実だけがつぶれていた。
 ファンもマスコミもチームメイトも驚いた。監督は血迷ったと誰もが思った。シリーズは混戦を極め、もともと手薄だった投手陣、みな疲労しきっている。エースは連投でぼろぼろだ。だからってなぜ彼なのだ。グローブをはめた姿すら見たことないぞ。これは笑いなのか。茶番なのか。監督は試合を投げてしまうのか。
 彼は押さえた。六回にぼてぼての内野安打を許したきり、完璧なまでに相手打線を封じ込めた。コントロールが素晴らしかった。内角高めのストレートが、おもしろいように内野フライを上げ続けた。外野まで飛ぶことすらなかった。これは予想どおり?そりゃそうだ。そうでなければ話にならない。
 ところが九回の表に、彼は突如乱れた。四球で走者を溜め連打を浴びた。バックネットにつきささるような大暴投を放った。ファンもチームメイトも監督も、何が起こったのか分からない。疲れた様子すら見せてなかったから。六点を失った時点で彼は自らマウンドを降りた。ベンチ前まで歩いてくると、唖然とする監督に向かってボールを投げた。ボールはきれいな弧を描き、監督の手の中におさまる、そう、前日の蜜柑と変わらぬ重みをもって。
 その後試合がどうなったのかは知らない。おそらく負けただろう。奇跡の大逆転、その可能性もゼロではないが、いずれどうでもよいことだ。話は九回の表で終わっている。どこまでがインチキだったのだろう。九回の表だけ?試合すべて?六回の内野安打?監督は知っていた?彼の投げた蜜柑は何だった?


1月12日(土)廃刊

 マックライフが廃刊になるのだそうだ。はじめて「みんなの日記」を紹介してもらったときのことを思い出し、どうにもやるせない気持ちになる。マックというよりも雑誌が厳しいのだろうか。僕は週刊ファミ通ぐらいしか買ってません。買いもしないのになくなるときいてさびしく思う、そういうのがやるせないのであろうきっと。


1月10日(木)欲望

 出産間際の島野さんが職場に現れた。でかい。まるい。さわらしてほしいと思ったがそういうのはセクハラーにあたるので我慢した。


1月9日(水)橙なとのせてみて

 新しいアイマックだねぇ。うちのはすっかり古いアイマックになってしまったよ。新聞の、粒子の粗い写真を見ながら相棒が、おもちみたいだねぇ、と洩らしていたよ。そうだねぇ。お正月だからねぇ。もうすぐ鏡開きだねぇ。


1月2日(水)大黒

 近所の松ヶ崎大黒天に。大黒さんって神様だからずっと神社だと思っていたのだが寺だった。妙円寺というのが正しい名称なのだった。妙法の、法に当たる部分ね。寺だとか神社だとか未だによく分からない。神様をまつるから神社、なのではないのか。私個人としては無宗教というか、やっぱ仏教でありなむーなので寺でもいっこう構わないのであるが、初詣に行きそびれてしまった。行きそびれてしまったじゃないか。それはそうと、この規模の寺社というのはどの程度メイジャーなのであろうか。知る人ぞ知る、とかいって、知ってる人が知ってるのは当たり前である。知らない人こそ知っている、などという事態が起こるとすればそれはパラドクスであり自己矛盾でもあるからだ。無知の知であるからだ。そもそも七福神とか大黒さんがわからない。大黒さんは黒くてつやつやした神様なのか。えべっさん、布袋さん、弁天さん、ほら、もう出てこない。あと三人もおわっさるのである。だいたい大黒さんと聞いてくっすん大黒しか思い浮かばない時点で敗北である。えべっさんは商売繁盛で笹を持っていらっしゃる。布袋さんは布の袋を持っていらっしゃる。弁天さんは女の人、ていうか女神様でおわっさる。インド出身。そう、ここからいんちき。毘沙門天は多聞天とも呼ばれ四天王のひとり、福禄寿は頭の長い人。寿老人も頭が長い、うちわ持って、鹿連れて。
 インターネットを駆使して調査したところ、松ヶ崎の大黒さんは、都七福神の一であることが判明した。どうりで、タクシーやら観光バスやらがたむろしていると。


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