2001年2月/1月


2月24日(土)痛くない

 約三年ぶりに東山歯科へ行く。三年前ははじめての歯医者だったが、今回は二度目だったので怖いことは何もなかった。三年前には上の親知らずを二本抜いた。試算では12本にも上る今回の虫歯、怖いことなどないがそれなりの覚悟をもって臨むも、結果は2本だけだった。すぐに終わって次回から歯石取り。んー。帰りには大垣書店に寄って、欲しい本はたくさんあるのだけれど、学生時分に誰かに貸したまま戻ってこない『贋金づくり』の上巻を買い直す。何回読んでもおもしろい小説なので、また読んで感想を書きたいと思います。ジイドはこれだけが秀逸だよなぁ。他はあんまり記憶にないし。


2月22日(木)僕はこの世界に

 チーズケーキを焼いてもらう今日は有休でした。地下鉄を見るわけでもなく「じゃ、何をしたの?」「年を取ったわ」


2月13日(火)出張

 本日は大阪へ出張(出張?)であり朝から京阪特急に乗り込んだ私であった。残念ながらテレビカーではなかった。健康診断があり、尿、血圧、レントゲン等に異状は見られなかったが、身長が前回測定時よりも2センチばかり減少していた。老化が原因と思われる。体重も3キログラム減少し、ついに大台を割り込んだ。長らく同じ体重を維持していた私としては、たいへん遺憾に思うべき事態であり、まだ減少する余地があったかと驚くべき事態でもある。骨や内臓が細まったと推測される。昼食には煮魚定食を摂取し、出張完了後は一つ先輩の今井くんとお茶を飲んで帰った。同い年なのでくんなのだ、でも先輩なのでおごってくれた。ケーキはつかなかった。お茶ではなく正確にはコーヒーなのであった。そして肝心なところでしくじった。そういう一日だった。


2月11日(日)おそろい/ローテク

 もうすぐ誕生日なので、お誕生日プレゼントを買ってもらう。欲しくて欲しくて仕方なかった45の財布を買ってもらう。おそろいっちうのも何ではあるが、しかも向こうが先なのでまねっこなのであるが、まぁ色ちがいっちうことで、気に入ってしもうたもんはどうしようもない。人は物欲の前に無力である。僕の方が茶色に赤いステッチで絶対にいい色だ。しかしまねっこなので敗北なのだ。スニーカーも見たのであるが、新色はまだのようであった。今年もコンバースかねぇ。
 僕はどちらかといわずとも圧倒的にローテクであって、たぶんマックの使い方もおそろしいほどのローテクなのであろう。デジタルディバイドなのであろう。西瓜糖もベーシックだし。命令とか関数とか4個ぐらいしか使ってないよ。頭はすっごく使ってるつもりだけど、本当の人が見たら何じゃこりゃ、てなスクリプトなのであろう。1の結果を出すのに10の過程を必要として自分でもなぜにこんなに回りくどいって思うときあるし、造りが文系なのであろう。
 造りが文系だから、ウリポとかミステリとかにひかれるのであろう。つまり厳密なルールとか方程式とか、寸分の狂いもなく構築される物語とか、まず最初に方法があって、それを遵守することにより自動生産される作品とか。シュルレアリスム文学もそうだ。ビュトールの『時間割』もそうだ。僕は器械になりたいのだろう。いつだったか澁澤が「フロイトは人間を擬器械化している」と書いていたけど、それを読んだ僕はそういった意味での器械人間というものになりたいと思ったものだ。いや、別になりたくはないか。そういう指向を望むということか。


2月4日(日)好きな店はどんどんなくなる。

 相棒の友だちに赤ちゃんが産まれたのでそのお祝いを買いに北山へ。すでにあたりをつけていた、アルファベットでおくるみとよだれかけを。全然関係ないが自分用に肩下げのかばんも買った。自転車にカゴがないので、持ってけるかばんに限りがあったのだ。北山はビームスが移転したり、もともと入れ替わりの激しかった地下鉄出口周辺も軒三つ分ぐらいが空きになってたり、いよいよ危ないのではないかと思う。地下鉄が延びて、バブルとともに発展した町らしいので、現在までがんばってることのほうが不思議なくらいなのであろう。住むにはわるくないところだと、思ったりもするが。


2月3日(土)節分

 節分につき、恵方(今年は南南東)を向いて太巻きかぶる。東海地方にこの習俗はないそうだが本当だろうか。全国的であるように思える。二人黙々とかぶり、かぶり終えて一息、「やっぱり喋らないの疲れるー」。何のことかと思えば、太巻きを食べている間は喋ってはいかんのだそうだ。そういうしきたりなのだそうだ。そういうしきたりなのだと、去年僕が言ったのだそうだ。真顔で僕が言ったのだそうだ。知るかそんなもん。
 その後はえぇ、予想通り折檻でしたね。うぅ、真に受けるほうが悪いんじゃー。


1月28日(日)エムピースリーチョコレート

OS 9.1 はどこがどう新しくなったのかよくわからない。わからないまま二週間が過ぎた。iTunesを導入してみて、大容量ハードディスク時代であるなぁと思う。調子にのっていろんなCDを取り込んでいたら、当然のことなのだが昔のことなど思い出して、自滅。
お昼から、バレンタインのチョコレートを買いに高島屋へ行く。楽しみが減ずるのでついてくるなと言われて丸善で待ち合わすことにした。相棒が持って現れたのはゴディバの紙袋であった。これで中身がチョコバットとかだったらおもしろいなぁと思った。高島屋の裏口から寺町のふなはしやまでダッシュすればそういうことも可能であろう。相棒は非関西人なのでそういうことはしないが、もし中身がチョコバットだったら、うれしかったりかなしかったり、オレはかなり難しい立場に置かれることになるだろう。


1月27日(土)天気のせいだ

雨が降っていた。お使いの生協へ徒歩で向かったのがお昼過ぎであったと記憶している。傘を差してすたすた歩くのが何となく愉快に思われて、御薗橋を渡りそのまま東へ東へと。正気を保つために目標を設定せねばならなかったが、上賀茂神社前を通過した時点ですでに正気を失っていた。少なくとも普通一般的に言われる意味での正気は失われていた。職務質問をされたら、答えに窮したであろう。挙動に不審なところなど微塵もない。傘を差して歩いている、それだけのことだ。つまり行為を瞬間だけ切り取れば何らおかしなことなどないのだ。ただ、私が家を出てから、その瞬間までをすべて観察している者があるとすれば、その者の眼には奇々妙々にうつったことであろう。幸いにして、そのような者は私と神様をおいて他にはなかったので、私は説明する義務を負わずに済んだ。私には私の行為の意味がよくわかっていたし(自分がわからないということが、はたしてあるだろうか。あるとすればせいぜい、なぜこの虫歯は痛いのか、とか、なぜこの財布にはバス賃代すらも入っていないのか、とか、自分自身には責任の及ばないことに関してであろう)、神様はまぁ有り体に言えば何でも知っているからだ。結局、何の説明もなされぬまま、北山通りから、東大路へ入って、恵文社に立ち寄り、高野まで出た。血行が良くなったのか、太股がめったやたらに痒くなり、殺してくれ死なせてくれ、と思った。でも治ったので死ななくてよかった。そんなことで簡単に死ぬなどと言ってはいけない。バスに乗って帰った。買い物するのを忘れていたので、うちから自転車で出直した。雨は上がっていたのだった。恵文社は久しぶりだったね。古本屋にて定価以上の値で買ったブッツァーティが当たり前のように陳列されていて、少しばかりくらっときたよ。


1月22日(月)離散家族

年休で、灯油を買いにガソリンスタンドまで歩いたほかは一歩たりとも表に出なかった。一日中穴掘りチョコボをやっていた。もうこういうことはできないだろう。夜父から電話があり、広島への転勤が決まるそうだ。


1月20日(土)雪国おでん

休日出勤で朝の予報では雨だったらしいのだが、気がつくと大雪に見舞われていた。夜は吉田さん宅でおでんをごちそうになる。元上司と、先輩二人と私の四人でおしかけたのだ。蛸がおそろしいほどやわらかだった。吉田さんというのは元職人さんで、私が吉田さんと知り合ったのは現在の職場においてなのだが、そのときすでに吉田さんは奥さんに先立たれ、江藤淳の気持ちはものすごようわかる、と言うてはった。現在はご隠居さんである。今日の日記は削って削って、この世でいちばん削られた日記になってしまった。


1月13日(土)OS 9.1 ダウンロード中に記す。

二日遅れの鏡開きにつきお善哉をいただく。といってもお鏡を開いたのではなく、正月雑煮でしか食べなかったもち(フランス語ではモ・ティ)の残処理をしただけなのでありますが。
Sくんから電話があって、子どもが出来たので結婚することになったという。落ち着くにはいい機会やしがんばりやなどと月並みなことを。正直、それ以上はよくわからない。名前はどうするのだろうかと、現時点ではまだどうでもいいことを思った。
それからまったく知らぬ間にサニーデイが解散していた。何の根拠もなく、いつまでも存在し続けるような気がしていた。新しいのもう聴けんのやなぁという感傷の裏で、新しいの聴かなくてすむのかと大人になってからよく思うことを思った。いちばんは「若者たち」なのでありました。ご機嫌いかがとかすれた声で。


1月11日(木)女房を質に入れてでも

アップルが新しいパワーブックを出すというので見にいった。犯罪ですな、チタニウム。願わくばあと数年はこの意匠で。今すぐは無理だ。


1月8日(月)虹

暖冬暖冬と申しまして、今日の午前中も陽が射して暖冬でありました。一昨日夕方から雪が降って、ウホーと思ったのも束の間、夜半過ぎには雨に変わりそれからずっと暖冬です。散歩の帰りには雨に降られて、それがまるで寒くない。北の空には虹が出ました。近いところから出ておりました。たぶん西賀茂車庫の辺り。虹とは一体いつの季語であったか。こんな時節に立ち上るものでもないよなぁと、ひどく久しぶりに見る虹でありました。たぶん7年ぶりぐらい。
午後からはフレームという概念を取得して、ホームページ改造。コンテンツには変更ございません。


1月2日(火)IME

年内完成を目指して西瓜糖新バージョンを作成しておりましたが、重要な局面でイージーブリッジさまがお飛び遊ばされまして、そういうときにかぎって保存してない、少なく見積もって三時間は保存してない。システムを巻き込んでフリーズ遊ばされました。三カ月に一度ぐらい、忘れたころにやって来る、イージーさんの意味不明凝固。イージーさんの名誉のために付け加えておくがうちのイージーさんはすでにして三世代前のイージーさんでありますからして、オーエス9で動いてること自体、称賛すべき業なのでありますが、まぁそんなことがございまして新バージョン西瓜糖が出るのはいつのことやら。すっごい機能がついてたのになぁ。フィルター処理とか無限アンドゥとか最新ウイルス除去機能とか。すべて夢想のハードディスクの次元の狭間の彼方へと、吸い込まれていったのでした。
そんなことには関係なく年も明け、今日は上賀茂神社へ初詣。人出と白馬と善哉と。相棒とサバと僕と、三人あわせて50円の賽銭と。

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