西瓜糖日記2000年9月


9月30日(土)雨男

 雨男は空から落下傘で降りてくる
 雨男が降りてくるとかならず雨
 洗濯物は生乾き
 運動会は無期延期

 負けたらいかんよ雨男に
 明日は晴男が降る予定です


9月29日(金)ブラウザ

 ネットスケープとインタネットエクスプローラでは見え方ぜんぜん違うことが判明した。色が完全に違う色。できたらインタネットエクスプローラで見て欲しいが、まぁどうしようもないわなぁ。これでまたウインドーズ環境なんかも考えると期待通り表示するのは絶望的か。ディスプレイの設定とかもな。って考えだすときりない。脳味噌というか知覚機能からしてすでに個々バラバラのブラウザなわけですし。


9月26日(火)日記

 20台も半ばを過ぎた現在の僕にあって、寂しいような切ないような気持ちに急襲されるのは日記、日記をうっかりと読んでしまったときであります。3年前というと20台前半なわけですが、この20代前半のことですら言い様なし。現在では全く交流の無くなってしまった人など思い出して、やり切れなさを抑えられないのです。やっぱマックで日記書いちゃいかんよ。うっかり読んじゃうよ。さらに悪いことに僕は酔狂というか物好きなので、マックだけでなく紙でできたノートにも書いちゃっていて、そっちも読んでしまった。この人死んでしまうのではないだろうか、というような悲壮感が漂う。たいしたことは書いてない。が、手書き文字の生々しさにあてられているのだ。4年ぐらい前に突如、全交信の途絶えてしまった人が現在は必要以上に相棒だったりして、死ななくてよかったねーと思うのでした。死ぬ気なんて当時の僕にあったとは思えんが。4年前ちうと1996年なんだよねぇ。
 なーんて、感傷的になってみたところで、2000年。何なんだよ2000年って、9カ月も経ったのにまだ思う。寒くなってセーターを着て、去年の今ごろは、なんて言い出して、年を取ったり忘れたりしているうちに、暮れも暮れていくのだと思う。いつもの暮れ。
 今年はなぜだか梨を食べる機会が多くそれがまた20世紀だったりして。水気が多くて甘すぎず好みなのであるが、20世紀20世紀いってると去りゆく20世紀が不憫に思われてくるのです。フリッパーズじゃないけどこれから先も僕は20世紀の星屑を焼き付けながら生きていくのだと覚り、呪縛だこれは。
 コーヒーをいれた。しばらくスターバックスを飲んでて、スタンプ集めの段落したところで小川コーヒーやら「さめてなをうまし」のゴールデンコーヒーに浮気したが、何じゃこの希薄なコーヒーは色のついた飲み物はと驚愕して結局逆戻りである。苦い。


9月20日(水)世界の終わり

 楽しかった夏休みが終わった。終わってしもうた。休暇の終いというのはなぜにこんなにも憂鬱なのであろうか。休暇のかかりの気持ちがビーチボールの大きさと重さであるなら、休暇の終いは海鼠の大きさと重さであろう。海鼠だ。私は今、海鼠を手に、途方に暮れているところなのだ。つまりその気持ちに等しいと言いたいのだ。私の存在は海鼠の気持ちに等しいと言いたいのだ。ていうか労働キライ。万国のプロレタリアートに団結を呼びかけたくなりますな。


9月18日(月)墓参

 新幹線で名古屋へ。相棒の実家へ。墓参りへ。地下鉄に乗って。バスに乗って。トロッコに乗って。遠いなぁ。だいたいからしてうちから京都駅までからして遠い。名古屋と京都は近い。名古屋から相棒の実家がこれまた遠い。バスがない。名古屋は件の集中豪雨で西部がやられたらしい。相棒の実家から相棒の父上とともに墓参する。歩いて。車で。スプートニクで。今日の日記にはウソが交じっている。そういうものとして許して欲しい。涼しいねぇ。


9月17日(日)日はまた昇る

 大学入試のときにも就職試験のときにも覚えなかった情熱でもって臨んだ職場試験でありましたが、あきませんなぁ。努力が足りんかったというよりも方向性が間違っていたという感じで。オレが受からな誰が受かる!という勢いもどこへやら。梅田で某まりもさんと某カモクラ会長氏とごはん食べて帰った、そんなプチ同期会でありました。試験なんてなかった。京都駅からバスのなかでひとり古井由吉を読んで、休みの日には散歩してぼんやり川を眺めて、ときどき狂ったみたいな気持ちになって、普通の日には普通の顔して働いているのが一体全体どうなのであろうと思ったよ。考えたよ。幸せなのかと考えたよ。そのうち読書日記に。
 というような日記を書いてアップしようとしたら、できなんだ。よくわからず。


9月15日(金)なぜ市中引き回し

 椎名林檎のDVDを二枚ともこうてしもうたのです。給料日前なのにけっこうこづかいが残ってて今月はへそくれるなぁと思うていたのに、キッチリバッチリ帳尻合わせてしもうた。収支相等の原則であるといえましょう。なんかちょうどタワーレコードもスタンプ二倍キャンペーンやってたしさぁ。それはそうと椎名林檎ですが二枚目のアイデンティティとか、もはや映像としてわけわからなくて、ほんとに「あたしは誰なのですか?」って感じ。うまいよなぁ。やはり作詞センスだよなぁ。


9月9日(土)週末にはバスにこもるのさ

 午前中に図書館と大垣書店へ行って午後は昼寝と勉強と読書というひとり週末のゴールデンパターン。西澤保彦と折原一と松浦理恵子を借りる。森博嗣の新作を購入する。体力に自信のないときはミステリばっかり読んでしまう。職場試験がいよいよ来週なので追い込みなのだがいまいち気分がのらない。東京へ行きたいという曖昧ではあるが強力かつ盲目的な動機によって支えられていた情熱も、やがては惰性に変わっていったのでありました。まぁまだ惰性に変わっただけマシか。まがりなりにも続いたわけだし。唐辛子を刻んだ指でうっかり鼻をこすってしまい数分間苦しむ。ていうかアホ。


9月8日(金)ある白昼ドリーマーのたたかい、そしてケーキの誘惑

 研修でございました。すなわち眠気と睡魔と闘いと、空腹とまずい昼食と闘いと。オレはたたかった。たたかってたたかって死んだ。遺体は鴨川に捨てられ大阪湾まで流れ着いた。ハマユリが揺れていた。今にも雨が降りそうだった。
 でまぁ終了後に京都の同期おともだち(希少)とお茶会なのでありました(研修はもののついでで、こっちがメイン)。今回は河原町丸太町のジジで泉堂町にも姉妹店がある。泉堂町の方はめずらしく相棒に教えてもらった。年に二度(盆と正月)ぐらいしか甘いもの食わねえ人間がなぜケーキ屋など知っているのかたいそう不信ではあるがまぁそれは置いといて。
 隣でKさんの召し上がっておられたシブーストがどうにも魅力的に思われて、一口くれ!と思った。思ったが言えなんだ。オレはたいそう遠慮深い性質なのだ。情報交換!と思ったが結局は不満炸裂の愚痴交換に終始するのでありました。ま、しゃあないわ。


9月3日(日)森さん

 IT革命等でおなじみのITが「アイティ」であることが判明した。ずっとこころのなかで「イット」「イット」呼んでいた。他人に話す前でよかった。やっぱテレビもみなあかんね。音声情報重要。


9月2日(土)ウエッブデザイン

 ホームページを改造すべくいろいろ試みておるのではありますが、どうもうまくいかん。はなから信じていないとはいえ己のデザイン力の欠如にはほとほと呆れさせられます。もう色からしてがよくわからん。このページも西瓜糖というよりは蜜柑汁になってしもうた。カラーピッカーで好きな色好きな色選んでったらこうなってしもうた。


9月1日(金)引っ越し

 クレジットカードをつくって、プロバイダを変更しました。伴い、このページもお引っ越しです。まあさくさくと。つつがなく。
 夏休みも終わりました。暑い日は続きますが、夏はもう終わりです。エンディングです。今年も何一つ分からぬまま、判明することのないまま、夏をやりすごしてしまいました。静かに終わるよなぁ毎年。
 それにしても新プロバイダ、速いです。旧の4倍料金だものな。そうでなくちゃ。テレホーダイのかかりでも、いともたやすくつながったし。これで快適ライフなのでしょうか。快適インターネットライフなのでしょうか。快インライフだと言えるのでしょうか。まあそれは置いといて。この歳になってカードつくることになるとは思わなかったよ。はっきしいって、僕は僕の堪え性を信じておりません。ローン地獄は目に見えております。だから使わぬ。


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