オレは皿を洗う、誰のために

2007年5月12日

食器洗い機が壊れた。スタートボタンを押してもうんとも言わない。ストップボタンを押してもすんとも言わない。自爆ボタンを押したら自爆した、チュドーン。

仕方がないので手で皿を洗った。何ヶ月ぶりだか何年ぶりだかだ。意外と楽しいものだな。自然に鼻歌も出る。ぬぬぬ〜ん♪ぬぬぬぬ〜ん♪♪

そもそも食器洗い機、妻はいらないといった。僕がほしいといった。夜遅くなって皿を洗うのは嫌なので入れてほしいといった。で、食器洗い機が壊れて、皿を洗っている。ぬぬぬ〜ん♪

洗わないこともできたはずだ。なのに、なぜ、洗うのか。洗い熊だからなのか。そこに皿があるから、洗い熊は洗うのか。皿がない場合は、何を洗うのか。洗い熊は食器洗い機を洗うのか。食器洗い機は洗われるべき存在なのか。

食器洗い機洗い機が必要なのではないか。そしてわれわれは洗い熊を洗うのではないか。すなわち洗い熊洗い熊なのではないか。洗い熊洗い熊ラヌカルなのではないか。

皿洗ってる時ってのは、いろんなこと考えるな。たぶん楕円の運動が思考を促すんだろうな。食器洗い機や洗い熊は、皿を洗いながら何を考えているのだろうか。何も考えていないってことはないだろう。いろいろ考えすぎて、きっと嫌になったんだろうな。

食器洗い機だったら洗うのを辞めればいいけど、洗い熊は洗うのを辞めないだろうな。ただのグマになってしまうしな。グマ、ラヌカル。グマラヌカル。洗わないグマ、グマラヌカル。いま、グマラヌカルで検索したら、うちのサイトがトップヒットするに違いない。皿なんか洗わないけど、グマラヌカルについては右に出るものなし。左に出るものもなし。

台所でひとり、皿を割り続けるグマラヌカル。皿で皿を洗う、グマラヌカル。明日は折檻だ。

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