死んではいないが死んでいる、そんな危機感から書く日記です。僕らはみんな生きている。生きているから死ぬるんだ。
忙しい。この人生で2ばんめに忙しい。いちばん忙しかった頃は、忙しいという事実について省察する余地すらなく忙しかったし、その意味では忙しくなかった。人生を切り落とすのに忙しさなど問題ではなくなるのだ。そういう意味では今がいちばん忙しい。いや、忙しくない。そんなには忙しくない。休むし。でも、休みはすぐ終わってるし。あれ?忙しいって何だ?
働かずに生きていきたいとは思わないが、賃労働はしたくない。日教組の強い京都府下の公立学校で12年間過ごし、家庭でも多かれ少なかれレーニンっぽい思想の洗礼を受け、民青がやたら幅を利かせている大学まで卒業した結果として、賃労働はしたくない。したくないけどしますよ、賃労働者ですから。
共産主義がうまくいかなかったのは、自分みたいな人間がたくさんいたからだと思う。ソ連とかルーマニアとかベルリンの壁とかはオレがぶっ潰したと自負している。
好きなことを仕事にしたいとか自分の能力をいかんなく発揮したいとか、そういうことではなくて、賃労働はしたくない。労働の対価として賃金を得るというのが思想的にとか信条的にとか生理的にとか、そういうことではなくて、賃労働したくない。この問題についてもう少し検討したいんだけど、もう少し検討できるほど忙しくなくないんだなぁ。忙しいってのは原理的に不可知なんですよ。
疲れているはずなのに、根源的に健康な自分が恨めしい。寝不足なのは事実だけど早く寝ようとかいう努力は全然してないし、夜寝るくらいなら労働中に意識が朦朧としている方が100倍マシ。必要経費とかいって鼻血が出るまでチョコレートを頬張っている。
まぁしたくないしたくない言いながらもしてしまっているのは、僕がまだギリギリそういう世代だからなのかも知れません。宝くじで3億円当たったらという妄想を毎週毎週厭きもせずに日曜の夜から月曜の朝にかけて展開してしまうのは、妄想している状態が幸せだからなのかも知れません。あぁでも3億あったら利子で暮らせるな。1パーセントで300万か。賃労働せずに300万って、なんとドリーミーな話か。
そして何なんだこの躁は。地味な躁は。
私も宝くじ一等当てて金利で生活を妄想した一人です。
銀行が破綻したら大変ですけどね!
そうなんです。
宝くじ当たっても、
パーッと使っちゃダメなんです。
こないだの5年もの個人向け国債が年利1.5パーセントで、
3億円買ったとしたら、
税引き後でも360万ですよ。
全然暮らせてしまうんですよ。
日本が滅ばないかぎりは。
日本が滅ぶ確率と、
3億円当たる確率は、
どっちが高いんだろうか。