自分がいかにダメであるか

というようなことを書けなくなった。昔はそういうことを書くのが楽しくて楽しくてたまらなかったわけであるが、いや、実は今でも楽しくて楽しくてたまらないわけであるが、なぜか書けなくなってきた。手が震えて書けない。視点が定まらず書けない。今日は脂汗をべったりかきながら書いている。必死だ。

私は自分がダメであることを知っている。がゆえにダメなのである。「無知の知」に倣えば「ダメの知」である。知らなければ、さほどダメではない。いや、まったくダメではないとさえ言える。ダメというのは過剰な自意識による自己規定であり、自己愛であり羞恥心だからである。我知るがゆえにダメ。ダメであるがゆえにダメであることを知る。ゆえにダメである。知れば知るほどダメであり、ダメであるがゆえに己のダメを知る。繰り返すダメ。自己で閉じるダメ。ダメの連鎖であり、ダメスパイラルなのである。

他人が私をダメだと規定することはない。他人は他人を規定しない。そんな積極的な関与を私は信じない。

で、ダメとは何か。

ダメというのは、しんどいことは嫌いなんだけどギリギリ我慢できる範囲内でしんどいことをしている心の有り様である。心の状態ではなく、当然にそうあるものである。ダメはダメを殺さないし、ダメはダメになるのでもない。ダメはダメに生まれるのである。

明日できることを今日やろうとして自爆、というのもダメである。これで明日年休だったりすると、ほとんどテロルである。テロルのイズム、テロルィズムである。携帯の電源なんか切ってやりますよ。

妻友人がとってくれた、妻と私が25歳ぐらいの頃の写真が最近送られてきて、若い。意識が連続しているにもかかわらず、不連続に若い。妻などはあまり変化していないようにも見えるがやはり若い。あぁでも彼女は連続しているな。私のこの不連続はたぶん記憶力がないとかそういったことだろう。意識は知覚の束だといった人が憎い。そして、無闇に笑っている。

意識が連続しているにもかかわらず、何がおかしくて笑っているのかが分からない。いや、本当は分かっている。普段はコンタクトを装着しているのにこの時には眼鏡をかけているのがおかしくておかしくて仕方がないのだ。眼鏡がおかしいのではなく(自分でいうのもなんであるがとてもよく似合っている)、25のくせに眼鏡をかけているのがおかしいのだ。あれ?

うちは写真を撮らないので、この7年間の変化は劇的だ。急に突きつけられてそれなりの衝撃を受けたのであるが、漏れ出たことばはあぁ若いねぇ、なのである。漏れ出たことばはあぁ若いねぇ、なのである。このへんのダメが最もダメなのは自ずと明白だ。詳細に検討するのが怖い。のでこれくらいに。

まぁ何が最大にダメかって、クラブニンテンドーでプラチナ会員になったことですかね。一年で貯まらんよ400ポイントも普通は。実際問題として大人が。サラリーマンが。

コメント

  1. プラチナ入りおめでとうございます☆
    …二年連続じゃないですか?

  2. ありがとうございます。
    プラチナは初めてです。
    去年も一昨年もゴールド止まりでした。
    今年の勝因(勝因?)はWii本体とVCと思われます。
    プレゼント何かな?

この記事へのコメントの受付は締め切りました。