河原にて

鴨川の河原でひとり、何もしない。12月になったからといって忙しくなったりはしないし暖かくいい日和で、ただ目前で展開される光景をぼんやりと眺めやる。女の子、仔犬、お父さん、おじいさんとおばあさん。仔犬を連れたお父さん(たぶん僕と同年代だろう)と、3つぐらいの女の子が楽しそうに遊んでいる。その様子におじいさんは目を細め、おばあさんはデジタルカメラを構えて女の子に声をかけている。確かに。仔犬と戯れる女の子というのはあまりにも絵になるな。おばあさんでなくても撮りたくなると思うよ。それを僕は少し離れたベンチから見ている。とても平和だ。恒久的ともいえる平和だ。

ったのだが。

信じられないことが起こった。

お父さんが老夫婦に会釈して、川上の方へ歩き出した。仔犬も「さぁ散歩再開」とばかりについていく。それをきっかけに、老夫婦は川下の方へと向う。よく見たらこの夫婦はちょっと近所をお散歩ってな格好ではない。観光客か。そしてぽつねんと取り残される女の子。あれ?所属してないの?お父さんにもおじいさんにもおばあさんにも仔犬にも?君は?あれ?女の子?

世界がちょうど女の子のところで、真二つに裂けたような気がした。いや、実際に裂けた。世界が終わったのだ。世界の終わりを目の当たりにして眩暈を僕は覚えた。膝から下がグラリと揺れた。

世界は2000枚ぐらいの紙束でできている。今日、河原で一枚裂けた。裂けた紙の下には次の紙が用意されていて、何事もなく世界は続いているように見えるのだけれど、ほんとうはまったく続いていない。裂けた世界の方は今日終わった。

最後の一枚が裂けた時、という心配はいらない。世界は常時2000枚の紙束でできている。減ったら誰かが補充するのだ。少なくなっていることに気づいた誰かが補充するのだ。誰でもいい。誰かが紙を持ってくれば事は足りるし、その誰かが決定されている必要はまったくない。誰かがやる。それはたぶん間違いない。まぁ補充されようがされまいが、今日河原で一枚裂けて、世界が終わったことに変わりはないのだが。こんなことなら家で大人しくしときゃよかったよ。