原因と結果

一時間遅れの米原行き普通列車が野洲駅に着いた。「野洲にて新快速列車米原行きとの待ち合わせを行います」のアナウンスが流れたため、乗り換えようと思い下車したところ、当該普通列車は新快速を待つことなく、そのまますぐに発車してしまった。ホームにてしばし茫然と、ここまで自分を乗せてきた列車を見送る私。

というようなことが先週あった(先週は濃霧のためJRのダイヤが乱れに乱れ、一日たりともまともな運行がなかった)。体内から噴き上がるマグマを感じた私は、脊髄反射的に階段を駆け上がり、改札の駅員に詰め寄ろうとしたが、止めた。詰め寄るかわりに次の電車はいつになるか尋ねた。駅員は申し訳なさそうに、「次の電車は三十分後になります」と答えた。私も申し訳ない気持ちになった。

何に対して怒っているのか考えてみた。

野洲で降りてしまった自分。ではない。自分に対する怒りは、過失のないところには発生しない。降りてしまったことによる実害。特にない。遅刻してしまったわけでもなく、野洲では本を読んでやり過ごした。寒かったが風邪はひいていない。誤ったアナウンスをしてしまった車掌。これがいちばん有力だが、冷静に考えると違う。車掌には悪意も、おそらく重大な過失もなかった。濃霧によるイレギュラー運行下で誤りやすい状況にあった。JR西。仕方ない。遅延理由の霧はJRのせいではない。というわけで霧。霧か。霧に対して怒っているのか。

感情は感情を抑えない。理性は感情を殺さない。そこで、感情の原因について考えてみる。考えてみると、存外に知れる。怒りは消えないが、怒りの原因は知れる。たぶん、ひたすら怒り倒してもいいのは自己原因だけなのだ。自己原因がひたすら怒り倒すってのはちょっと、想像しづらいけどな。