親戚の葬式で

親戚の葬式で弟に会った。五年ぶりだ。バッファロー吾郎みたいな眼鏡をかけている。こんな歳にもなってこの兄弟は似ている似ている言われ、ほかに、こう、何かないのか。天気の話とかゴルフの話とか小豆相場の話とか。まぁどの話も困るわけだが。

ただどうしようもなく似ているというのも事実である。ほんとにもう、どうしようもない。オレが次男だったらきっとこうなんだろう。吾郎みたいな眼鏡をかけているんだろう。髪をおかっぱにして、ぴちぴちズボンを履いているのだろう。軽武装中立低所得だ。そんなんで国防できるのか。何をやっているのかまったく知れない。休みの日はどうかと聞くと買い物に出ているのだという。休みが合わないからたいていひとりだという。お前はオレか。

弟が長男だったらオレみたいかというと違う気がする。弟はたとえ長男であっても次男的だろう。自意識(というのは他者の視線にほかならないが)の希薄さは一体どこからくるのか。オレの場合は加齢とともにどこからかやってきた。弟は生まれた時から自意識が希薄だった。むしろなかった。オレは軽武装で低所得ながら追従している。追従せずに生きていくのは難しいと知っているが、そうでもないのかもとも惑ったりする。この惑いが弟にはないし両親にはないし、妻にもない。妻の父にもない。あるのはオレだけだ。惑いながら生きていくのは時々時めくことがあって、困難ながらも長生きしたい。

亡くなったのは祖母で、享年95の大往生でした。年末に会った時は傾眠著しく、もう長くないのかなぁと思ったのだが充分に長かったのだ。倣うのだろうよオレは。