さまざまな空間

2004年6月24日

鯖の方にも書きましたが、読み終わるのがもったいなくてちびりちびり読んだ『さまざまな空間』。「街」のあたりで思うのが、僕にとって「ここ」とはどこかということ。

育ったのは京都府の旧綴喜郡で、石清水とかエジソンとか流れ橋とか梨狩りとか鷹狩りとか虎刈りとかが特産品。現在もハリン父母が住んでいる(ハリン父母は旧綴喜郡に30年ぐらい住んで定着したが、それは子どもができたからだろうな。うちはあちらこちらふらふらしてるから、子どもがないのであろうな)。それから京都市内に移って、衣笠(3年)、出雲路(3年)、西陣(4ヶ月)、西賀茂(1年6ヶ月)、松ヶ崎(2年)、中村南(1ヶ月)、桜台(9ヶ月)、近江八幡(5ヶ月)。京都はすでに1年以上足を踏み入れてない。衣笠と出雲路に住んでいた頃は、衣笠と出雲路には住んでいなかった。屈託にまみれているので、とてもじゃないが僕の空間とは言えない。西陣は言うに及ばず西賀茂も松ヶ崎も何も知らない。練馬区と青葉区は論外。近江八幡はまだまだこれからだし。自分を振り返って「ここ」を考える時、僕は一体どこにいるのだろうな。論外とか言っときながら青葉台の駅前をウロウロしているような気がして(僕にとって街の中心とは駅に他ならず、それでは沖縄はどうなのだろう。ハリン妻は一年くらい沖縄に住んでいて、那覇にも中心があると言っていた。その中心観を解き明かしてみたい。僕は旅行をしないので、余所の土地がどうなっているかということを知らない。西は大阪府枚方市(出生地)、東は三重県伊勢市(小学校の修学旅行)までしか行ったことがない(2004年に限定すれば西近江八幡駅と東能登川駅。新快速で一駅だ)。テレビも見ない。雑誌も読まない。本や新聞や人の話が印象に残れば、その土地に対する妄想が形成されるし、そうでなければその土地は土地の雛形に収まってしまう。土地の雛形というのは僕の脳内立体地図で、例えば新しいお店や郵便ポストを見つけた時に書き込んだり消したりできるのだ。誰もが誰かの段ボールを切ったり貼ったり切ったり貼ったりして等高線を描かなかったか)、鴨川の河原に寝そべっているような気がして(北区には6年以上住んでいるし、6年といえば小学生が大学生になるではないか。場合によってはオリンピックが金メダルになるではないか)、ともすれば忘れがちだが存外と僕は大宮中立売の職安で求人案内を今でも睨んでいるのかも知れないし、睨んだところで僕にできる仕事などないのかも知れない。ほんとうのところ、睨んでいた頃と住んでいた頃とでは目的も手段もまるで違う。違っていた。なんであそこに住もうと思ったんだろうな。転職したかったのかな。結局4ヶ月で出てしまったし、転職もやらない。まだ京都府以外の都道府県には1年ちょっとしか住んでない。でも今住んでいるのは京都ではない。もう少し滋賀県に住んでから、どこか他の土地に移ったら、さらに「ここ」が揺らぐのだろう。揺らぐというか混ざるのだろう。

10年あまりで8回なのだ。生涯で60回くらい転居しようと思ったら(何かそういう人の話を読むだか聞くだかしたことがある)、こんなんじゃ全然足りないのだ。しかも今強度の貧乏だから、むこう2、3年は平気で引っ越せない。次は引き続き琵琶湖線のどこかだろう。彦根城趾に彦根城を建立するのはどうか。築城して転売し(それにより引っ越し費用も捻出できよう)、一部屋借りて住むのはどうか。草津はハリン祖父母がかつて住んでいた。あまり憶えてない。こことしては適当なのかも知れない。ハリン祖父母はなんで草津に住んだんだろう。よくわからない祖父母だ。長浜は学生時分にアルバイトで出入りした。何だかよくわからないがよくわからないものを売った。バブルはとっくにはじけていたがその意味ではまだはじけられなかったということだ。いっそ湖西はどうか。毎日クルージングはどうか。冬はスキーもできるし、そもそも雪なんて見たことないではないか。ホワイトクリスマスと洒落込もうではないか。

60もの土地に住んだら、どんなここになるのだろうな。旅回りの一座とか流浪のジプシーに、ここはあるのだろうか。ここというのは故郷ではないし、今住んでいるところが最も近いような気もするけど、本当に今ここに住んでいるのかと言われるといささか自信がない。つまり、土地鑑を獲得しては喪失し続けることなのだ。

「ここ」という「空間」の不定を表現したくてことばを連ねたが、少しでも伝えることができただろうか。