むづかしい本を読もう

2004年11月28日

もうダメだ。むづかしい本を読もう。

存在が、問われていることを構成し、存在が存在するものの存在を意味するかぎり、存在への問いにおいて問いかけられているものとして、存在するもの自身が結果として出てきます。このものは、それ自身の存在をいわば訊問されています。

む、むづかしい。同じ人類が発したことばとは思えない。これはうちの書棚にある書物の中で最もむづかしいであろう『存在と時間』(岩波文庫)というものである。意味するかぎりである。出てくるのである。あまつさえ訊問である。こ、こ、このものは!このものは!

しかし、よく考えてみると、むづかしいのは当たり前なのである。何となれば、この世界はむづかしいからである。むづかしいものがむづかしいだけなのである。これは、逆に安心なのではないか。むづかしいことをかんたんに言う、というのは土台無理な話だ。そういったものは詐欺だ。騙し騙されのテクニックだ。むづかしいものはむづかしい。むづかしいものはむづかしく語れ。あなたもわたしもむづかしい。彼方も此方もむづかしいのだと、再認識できるではないか。とかく自分のことは自分のことだけに簡単だ、わかりやすい、何もかも把握できているような気になって軽んじてしまいがちだが、そういったときにはむづかしい本を読もう。何でもいい。むづかしければ、電話帳でもいい。とにかく読んでみようではないか。

いや、電話帳はどうだろう。むづかしい電話番号ってのはどうだろう。はっきりいってうちの電話番号は超むづかしい。引っ越すたびに変わっているので、むづややこしい。電話番号なのか郵便番号なのかすらわからない。ちなみに、1192-296は幕府(鎌倉)の電話番号ですから。794bon3-heーan驚ですから。試験に出ても知りませんから!

コメントをどうぞ