今日のエントリ

2005年5月15日

セバスチンが久しぶりに投稿したと思ったら、ハリンとはもうブログしませんか。東京から戻らないのですか。

引き続きタイガー関連ですが、気がついてみるに、起動時のエラーがなくなった。たぶん一回も出てない。パンサーの時には6回に1回ぐらいは出てたのに。ダッシュボードは終了できないのですかね。使わないところに不足がちの資源を回すのはもったいないなぁ。便利なのだと予想はしたのですが、冷静に考えて時計もカレンダーも株式市況もまったく必要ない。天気予報なんて一ヶ月に一度見るか見ないか。一ヶ月に一度のためにスタンバイって言うのはメモリとかCPUとか余りまくってるなら。余りまくってないなら。

言い訳するわけではないのですが100パーセント言い訳な訳ですが、動きがあやしいのです。あやしいんです。一緒に動く。ウインドウとウインドウがくっついて一緒に動く。なんで。OSが変わっただけなのになんでウインドウとウインドウがくっついて一緒に動く。もう訳がわからないですよ。訳がわからないからワケワケ言いますよ。何なんでしょう。どうなんでしょう。結局のところどこを目指しているのでしょう。落とし所をさぐっているのでしょう?生きていく上での知恵?そんなものなくても生きていきますが。

生き物というのは生きていますよね。死んでいる生き物は生き物ではありません。生き物なんだから生きてて当たり前とか思うでしょう。同語反復だと思っているでしょう。トートロジーだと思うでしょう。あれ?トートロジー?トートロジーでいいですよね?

論理学ですよね。学生時代ですが論理学という講義がありまして、専門ではないんですけど一般教養でもなくて共通科目?正式な呼び名は忘れましたがそれが土曜日にありまして、誰が好き好んで土曜日に学校いきますか。百人ぐらいは入る中規模の教室でしたが常に5人未満でしたね。5人未満でしたが、その講義でしか会わない友だちもありまして、そういうのを友だちというのか知りませんが終わったあとにお昼を食べたりしました。時々プリントを見返したりプリントに味噌汁をこぼしたりしたと思います。雨が降ったりすると、土曜日で学食で、雨と土曜と半地下の学食のにおいで、よく気が触れなかったものだと感心しますよ。その友だちと最後に会ったのはたぶん論理学の講義で、その友だちのことを思い出すのはたぶん十年前の土曜日以来だと思うのですが、誰だっけ?誰だったっけ?いずれにせよ現在の僕にはまったく関係ない、人生は連続しているようで不連続です。十年もすれば不連続ですよね。記憶は当然途切れるし、その途切れ目にあった記憶なんて記憶があったことすら確認できないわけですから、そんなものをあてにしてはいけないですね。

講義の内容はといえばひたすら演算?結合法則とか分配法則とかドモルさんの法則とかそういうのを使って真であるとか偽であるとかもうどっちでもいいとかそういうようなことをやっていたような記憶があります。それがおもしろかったですね。全然覚えてないですけど。毎週出てましたね。語学もゼミも出ませんでしたけど、論理学は毎週出ましたね。あぁそもそも三回生とか四回生とかで語学をやるのはおかしいですよね。ふつうにやってましたけど。文学部の学生に論理学を教えるのは、あれはどういうあれなんでしょうね。教えることなんて何もねぇよってわけで、ひたすら演算をやらせてたのですかね。それが私にはおもしろかったのですが。前にも書いたように思いますが、後悔の少ない人生を送っていますが、ひとつ後悔を挙げるならば、もっと理科に進めばよかったなと思うのですよ。理科でなくても心理学とか地理学とか理科みたいな文科に進めばよかったなと思うのですよ。違う考え方ができるようになったのではないかなと思うのです。文科は文科でおもしろいのですけれど、文科はいつでもできるように思うのですね。理科は今からはちょっと難しいです。生き物としての限界を感じます。せめてあの論理学の講義で目を覚ましていればよかったですね。トートロジーでしたね。

生き物はすべて生きているというのはあくまでも結果の話であって、生き物が死んでいてもおかしくはなかったはずなのです。それでも現実は、生き物はすべからく生に指向していますよね。生きるべきか死ぬべきかなんて科白を吐きながら、最後のギリギリまでは生きているのです。これは不思議ではないですか。みんながみんなそうなんですよ。死にたいと思っている人も死にたくないと思っている人も生まれながらに死に得る年齢に達していても海に向かって突き進んでいても僕らはみんな生きてますよね。どんなに妄想をたくましくしても、死後の世界なんて妄想できないです。だから生きてるだけがすべてです。死は終わりですらないです。始まりとか終わりとかは外側にいるから分かるのであって、内側にいる僕には何も分からないです。いつの間にか始まっていて、終わりなんてものはもちろんありません。時計も持ってないしね。始まりよりも前に忘れてきたんだと思うけど、時計自体が、歯車とかバネとか時間の概念が発明されていないのかも知れないです。知らないです。知らないことは何もないです。何もないんだから、知らないようもないということです。知らないなんてことばを積極的に使ってしまわないよう気をつけたい所存です。面倒な時は使うけどな。

コメントをどうぞ