とりとめのない人生

私のウェブログはとりとめがない。何を書きたいのか主張したいのかが分からない。ただこの状況は私というものを如実に反映していると思う。

仕事中もそうだ。仕事してるでしょう。呼ばれるでしょう。戻ってくるでしょう。すると、さっきまで何やってたのか忘れてる。仕方ないから思いついた仕事を始めるでしょう。呼ばれるでしょう。戻ってくるでしょう。やっぱり、さっきまで何やってたのか忘れてる。仕方ないから思いついた仕事始めるでしょう。呼ばれるでしょう。戻ってくるでしょう。案の定、さっきまで何やってたのか忘れてる。仕方ないから思いついた仕事始めるでしょう。呼ばれるでしょう。戻ってくるでしょう。もはや自分が何者なのかさえ忘れてる。

こうやって、とりとめのない「何らか」としか呼びようのない何らかが蓄積されていくわけです。

私のアイブックの中もそんな感じで、ファイル名を「揚子江」とか「帝国」とか思いつきでつけてるから、内容がさっぱりわからない。で、確認しようと思って開けてみると、生まれてきたことを後悔するような内容の動画だったりするので、なるべく意味の分からないファイルは開けないようにしている。だったら捨てればいいのに、捨てられない。クレジットの領収書とかを捨てられないのと同じだ。いつかシュレッダーしようと思っている。

私はまだ死ぬ時のことを考えていないが、死にそうになったらすべてをシュレッダーしたい。遺言状とかもシュレッダーして、妻に「意味ないじゃん」と言わせたい。妻は「意味ないじゃん」とは絶対言わないようなタイプで、その点において尊敬している。私はすぐに意味を考えてしまうので嫌になる。意味を考えてしまうのにとりとめがないとか言って悩んでいるので、ますます意味がない。たぶん私は妻よりも長生きしてしまうだろうから、とりとめがないとかいって、意味がないとかいって、シュレッダーシュレッダーするのは、やっぱり少し不安だな。

というようなことを8月のそれも1日から書いてしまうのである。夏ですよ夏。前回と同様、剥き出しの夏コンプレクスで。