作者にとってマニュアルとは何か

サバノワの正式版が出ないのは、マニュアルの所為だと思うのです。マニュアルがなかなか書き上がらない。何故になかなか書き上がらないのかについて考えてみました。

文章、書くの、しんどい。そんなことはないです。こんな種類のいい加減な文章ならすらすらといくらでも出てきます。すらすらです。が、マニュアルとなると、そうはいかない。まず、マニュアルのファイルを開くのがたいへん。ダブルクリックにいつも失敗する。座標がずれる。無理からに開いたら開いたで、書きはじめるまでが長い。鉛筆を削りたくなる。消しゴムのかすを詰めたくなる。

寒いのです。滋賀県は大雪に見舞われました。記録的です。カタカナ語だとキロクテキなんです。路面は凍ります。ゴム長がすべるからです。駅に辿り着くまでに33回転びました。66回車にはねられました。99回忌を迎えました。チーン、ポクポク。なむー。

ショッキングなメールをいただいて。マニュアルどうする、と。考えてみたり。みなかったり。いや、結構いつも考えているんだ。ウェブログとかな、ホームページはな、誰にも読まれないとしてもいいんだ。書いてて楽しいから。読まれなくても楽しいから。マニュアルはそうではない。書いてて読まれないと楽しくない。積極的に楽しくない。でもな。「セルの保護」が「書式」にあるんか「ツール」にあるんか、誰も知らんっちうねん。かもてへんっちうねん。かもてしまへんか。

滋賀は寒いとか大雪だとか言われるけど、そんなことを言うのは滋賀県の人だけだ。ていうか最近は滋賀県の人としかしゃべってない。妻は滋賀県民なので、滋賀県の人。僕も滋賀県民なので、滋賀県の人。でも、滋賀のこと、あまり知らない。もう2年にもなるのにあまり知らない。よくよく考えると、結婚してからいちばん長いんじゃないか? 近江八幡。なのになんだこの無知は。この無知は無知の涙。

騙されてない、自分は騙されてない、って思い込みたい気持ちが分かる。痛い程度には分かる。でも、例えばアネハ被害者みたいな人を「間抜け」と笑って切り捨てる社会はもうすぐそこまできているのだ。望むと望まざるとに関わらず。いやいや。望んでいるのか。半分以上は望んでいるのか。もしかすると、アネハ被害者の中にも望んでいる人、望んでいた人がいるかも知れず、そういう人は二重に間抜けなのかというとそうではない。そんなこと言えない。なぜ自分のこととなると見えなくなるのか。目をつぶっているからなのか。単に面倒くさいから?

あと10日あまりで今年も終わります。今年も、って書いたけど、むしろ終わるのは今年だけで、来年や去年が終わるという話を聞いたことはありません。なので、今年こそは去年や来年を終わらせてみよう。それが無理なら、明後日でもいい。明後日や明明後日を終わらせてみよう。とにかく今年以外の何かを終わらせてみよう。今年以外の終りが始まる、もしくはそこで終わる。寝言エントリなんか昨日書いたような気がするのに、日付をみると10日以上前で。誰かが、DSの時計を進めるみたいに、世界のねじを巻いている。時速が秒速になるぐらいの勢いで。最大瞬間風速で。干し柿と、アイスクリームと、チョコレートケーキが、いつまでたっても消化されない。コーヒーは薄い。そうこうしているうちに妻の実家から柿が送られてきて、その柿がよく熟れている。世界でいちばん熟れている果物は柿だと思う。

マニュアル書きますよね。で、第三者的な視点で読み返してみるのです。すると、非常に分かり難い。初めて読む人が理解できるとは思われない。何が悪いんだろうなって考えると、サバノワなんですね。サバノワが分かり難いんです。で、その分かり難いところを直す、直した上でマニュアルを書き換える。で、読み返してみるとやはり分かり難い。何がわかり難いかっていうと、サバノワが。その繰り返しが。その繰り返しが分かり難いかっていうと、分かり難い。分かり難い?って何が? 繰り返しが。