仕事2

先週金曜日に引き続いて百合鷗に乗っている即ち百合という名の鷗である。これ森鷗外の鷗なんだけど、OS X 以外でもちゃんと表示されるのか知らん。知らん。

今日は逆から来て逆へ抜けた。乗り換え案内がそうせよと言ったからだ。流れよ我が涙と警官は言ったからだ。三匹の子豚が藁のお家を建てたからだ。

先週やりこぼしたことをやりに鷗に乗った。百合という名の鷗だった。

携帯の電波が届かない、誰もいない部屋でひっそりとひたすら端末を叩いていた。とくに眠くはなかったし自分が機械になったような錯覚を覚えた。錯覚ではなかったかも知れない。もっと確かな知覚であったかも知れない。

かつてこういうことあったなぁと思ったらたぶんこれだ。

仕事 « going after mandarin

前職の業務でもこれがいちばん私の性に合っていた。現職も前職も末端ではあるが、あっちの端とこっちの端っていうくらいに違うことをやっている。それでも似たような業務があり、機械になったかのような。自分が機械になったかのような。違うのは肉体をあまり使わないということでダイエットは今こそ必要なのであるがそれは仕方ないので百合鷗に乗っている間中鷗のように羽ばたくとかしてエナジーを無駄に放出したいと思う。

まぁ端的にいえば、誰とも接さずに仕事したいだけなんだけどずっと接さないとおかしくなりそうなので時々こういうことやりたいというわがままであり否が応でもやらなきゃいけないときがあるので幸せだったかも知れない。

という。