あの人らはどこへ

昨日か一昨日か土曜日だったか忘れたが吉積くんがふらりと現れた。根の生えないような風情だが三児の父だ。変わらんなぁ。着てる服とか帽子とかそれまったく変わらんだろ。その、適当な。

近況など。近況というと仕事の話になる。あと本の。なんかおもしろいのないの、であがった名前はそのうち鯖書房に。

「昔はこういう話ばっかりしとったよね」の次にぽつりと出た科白、「あの人らはどこいったんだろうな」。

そうなんだよ。オレもそれをききたかったんだ。あの界隈はどの界隈へ消えてしまったのか。

この「どこへいった」には二通りの意味があって(と僕は思っていて)、「あの人ら」はいまどこで何をしているのかという問いと、現在置かれている環境に「あの人らのような人ら」がいないのはなぜか、という答えと。

「あの人らのような人ら」がいないのはなぜか、という答えについてはわかっていることで、やっぱり僕が読まなくなったということ。簡単なものとか、仕事に関係のあるものしか読まなくなった。そういう貧困が原因なのだ。棚の並びにもう少し、自省を呼び戻す必要がある。

妻は「あの人ら」ではありません。あの人らと同じような話をしていたのは事実ですが、あの人らと同じように私が話していたかというとそんなことはなくて、やはりそこはどこかよこしまだったんだろうなぁ。まぁそれは仕方がないしここでは関係ない。とにかく妻は「あの人ら」ではないということです。

考えてみれば妻も吉積くんも僕とは方向が違う。マトリクスを書けば僕と吉積くんが対角線上にあってその間に妻がいるような具合。こういう図を描くのも何年ぶりだろう。好きな人が二人いて、その二人が男と女だった場合に、こういう図を描いた。女女だったり男男だったりした時は描かなくても済んだ。そういうものですよね。

たまってきたら来るわ、と帰っていった。そういえば前回はまだ鯖がいたな。ネズミじゃん、と言われていたが、確かにハムスターはネズミだ。その首に巻いたタオルも懐かしいですね。また。