自動車絶望工場

煮詰まった、ということで吉積君がふたたび現れた。何か手にフラッシュメモリのようなものを持っていた。

今回は早々に妻がリタイヤしたので、二人でそのフラッシュメモリを捏ね繰り回す作業をしていたのですが、予想どおりぐだぐだぐだの展開に。フラッシュメモリは存在しない、とか、フラッシュメモリは我慢できない、とか、フラッシュメモリがオレの布団に、とか、もうどうしようもない。三人寄れば文殊の知恵というけれど、やはり三人というのは必要最低限だと思われます。

あとセダンってのはずっと車の名前だと思っていた。全然知らないなぁ。興味なんかなくっても運転してるときには高揚感を覚えて、危ないなぁと思うことがたまにある。自動車絶望工場ってのは自動車が希望でもあり得るという点においてなお絶望なんだろう。七〇年代ほどじゃないにせよ自動車ってのはやはり何らかの希望なんだろう。これが半導体絶望工場とか、かまぼこ絶望工場とかだったら、付加される意味が全然違ってくるようきっと。かまぼこ絶望工場ってのを誰かがやるのならぜひとも読んでみたい気もしますが。

もうたぶん書かないだろうからこっちに書いちゃうけど、自動車絶望工場を読んでいちばん戦慄的だったのは、それがフィクションのように思えてしまったこと。これは私自身が、新自由主義的な思想がもてはやされる世の中に慣れつつあるということなのかも知れません。慣れるとはいっても適応しているわけではないので、このままだと立ち行かなくなること請け合いなのですが。かんばん方式って何かの悪い冗談だと思ったよ。泣いて謝る。

久しぶりの更新かと思ったらこんな鬱々ですみません。危機感が足りないようなのでこういうことを書いて自分を奮い立たせようという意図もあるのです。ぬー。ぬー。(右手を突き上げながら)

コメント

  1. アマゾンライブリンクがおもしろいことになったので、変わってしまう前に記録しておきます。

    「たのしい自動車工場」
     →トミカの関連商品かな?希望であってほしい。

    「自動車絶望工場」
     →本エントリで言及。絶望。

    「明日のカーメンテナンス業—勝ち抜く整備工場の経営戦略」
     →自動車整備工場という最先端?たぶん希望的。

    「トヨタの元工場責任者が教える入門トヨタ生産方式—あなたの会社にも「トヨタ式」が導入できる」
     →もはやネタ以外の何物でもないわけだが、アマゾンGJ。導入希望。超希望。

    「日産の光と影—座間工場よ永遠なれ」
     →高度経済成長の象徴だそうで。古き良き(古き良き?)希望。

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