旧型マックと『HyperCard』から生まれたモダンアート(Wired News)
だそうで、この記事は「旧型マック、かっこいい〜」とか、「モダンアート、よくわからねぇ〜」とかではなくて、つまり「ハイパーカードで十分だ」ということなのだと読んだのです。
コンピュータを「生活のための道具」と見なしても「表現のための手段」と捉えても、漢字トーク7.5あたりで間に合ってしまう(というのは単に私がそれ以前を知らないからで、それ以前でも大丈夫ということだって考えられます)。それがこんなMac OS X 10.3 なんてところまできてしまって、もう後戻りできないというのはどういうことなのでしょう。洗濯板から洗濯機へと移り変わるのとはわけが違うと思うのです。ウェブ閲覧もウログもブラウザがあればできるし、文書作成だけならコンピュータである必要すらない。
うちのマッキントッシュではOS 9.1を動かすことができます。できますのですが、たぶん三日ともたないでしょう。根拠はありませんが、わかります。なぜなんでしょうね。なぜなんでしょうよ。単なる慣れの問題でしょうか?やってみれば?
OS って何なのでしょう。そもそも何の略称なのでしょう。答えなんてないんでしょうね。なんでもかんでも現実に置き換えられると思ったら大間違いなのです。
コンピュータは仮想現実ではなくて、もうひとつの現実でもなくて、現実ではない何か。なのかな?と少しだけ思った。道具だったり手段だったりするうちはいいのですが。生活だったり表現だったりするうちはいいのですが。マウスがちょっと邪魔に感じる。すべてキーボードですませる方法はないものか。キーボードを指でなぞるとカーソルが動くとか。座標とか厳密にやらずに雰囲気で。CUIは無理。無理だ。