バーベキューとオリンピックは似ている。無縁の人間でも4年に一度くらいは見舞われるという点において。
湖西線で琵琶湖をくるっと回って堅田(正確にはくるっとではない。山科から取って返す具合。なぜくぐらなくていいトンネルを二度もくぐるのか。湖東と湖西って地の人間にしか分からない不連続があるのかな)。もしくは泳いで琵琶湖を渡って堅田(「必ずしも泳がない」という説明がある。守山から堅田まで橋が架かっているからだ。歩いて渡ることも許されているが、しかし15分経つと橋は上がってしまい、人も車も犬猫もドボン、結局泳ぐ羽目になる)。前の前の前の職場で一緒だった先輩や上司や所属長といったところだ。所属長はリタイヤして1年になり当然のように遊び倒している。女性バイタル力の好例だがまぁ今日はその話はいいか。
あんたは全然変わらんなぁと言われる。30代や50代の集まりで、誰一人変わった人などいないのだが、ことさらにあんたは変わらん、全然変わらん、変わろうという気概が感じられないと言われる。これでも5キロ肥えて5キロ痩せたんですよと言うと、それはおもしろいから今すぐ5キロ肥えろと言う。できる筈だと言われる。無理だ、いかに何でも。オリンピックで金メダルを取るくらい無理だ。その意味でもオリンピックとバーベキューは似ている。
肉が好きだ。特に豚肉が好きだ(私の中では豚肉=金メダル、鳥肉=銀メダル、牛肉=銅メダルという表彰台なのだがどうか。実はその三つ以外の肉を食べたことがない)。だが、もう食えない。好きなのに食えないと言うのは飽食時代にあって象徴的な出来事だが、いつからそんな飽食時代に生きていると言うのかオレは。食べられないほど食べたことがあるか。どちらにせよ肉が食べられないので、烏賊やシシャモやナスビを食べている。握り飯を焼いている。
子供はすぐに大きくなるな。産休中の先輩に抱かれべーべー泣いていた赤子がもう来年就学だものな。こういうのは変化ではなくて何と言うのだろう。人の親になったことがないからかよく分からない。
どうせ山科まで戻るので京都でシャンプーを買って琵琶湖線に乗り直すと栗東あたりで眠ってしまい、覚めたら能登川だ。危ない危ない。東の限界線を越えてしまうところだった。越えて死ぬわけではないが、そんな気持ちにならぬわけでもないだろう。
とか何とか書いてるうちに、オリンピックは終わってしまった。完了してしまった。日本はかつてないほどメダルを獲得したらしいが、地球上で開催している以上、どこかの国に属する人がメダルを取るのは当たり前だろう(むしろ無国籍や多国籍の人が出場していたら、興味本位で応援したい)。メダリストは日本人としてではなく、人として素晴らしいのである(今さら何を言っているのだろう。今さらながらに言わねばならないことか)。だから私は自分の不甲斐なさを嘆く。結局私は今回も、メダルをもらえなんだ。オリンピッカーになれなかった。次はどこで何年後か知りませんが、いろんな意味でのメダルを得ていきたい。金銀銅を独占していきたい。そして、メダルの数だけメダリストがいるのだということを、いつまでも忘れないでいたい。