第二次ツイッターブームが到来いたしました(第一次は2009年6月27日頃)。調子に乗ってぺちぺちやっておりますと、だんだんウェブログとの差別化が図れなくなってくる。ウェブログ更新滞る。これはまずいということで苦肉の策として、ホームページ上部にツイッター表示させてみるわけですが、なんだか違和感ありありですね。
そもそも私のウェブロギング自体、単なる日記とかわりませんゆえ、5年以上にもなりますがウェブ1.0のままですゆえ、世間様並のツイッタリングなぞ見込めそうもありません。日記です。プチ日記です。つまりはプッキです。違います。
違いますといって、ウェブログとツイッターの最大の違いは「なう」でしょう。真のツイッタリングはこの「なう」にあります。
「なう」は、ツイッター投稿文末尾につけられることにより効果を発揮します。例えば、「西洞院仏光寺東入ルなう」とか「減価償却なう」とか「姑息なう」とかいうような具合に。これはそれぞれ、「いま、どこにいるか」「いま、何をしているか」「いま、どういう状態にあるか」を指します。「なう」は、すなわち「Now」なのです。
だったら「なう」じゃなくて「ナウ」なんじゃないでしょうか。「ナウい」も「なうい」だったら、ちっともナウくありません。風の谷のなうシカとか、どこの谷の何シカやねん。
いや、ちょっと待て。ナウいって、言うか?言わないよな。
というかですね、「ナウい」って、完全に消滅してますよね。何かの冗談としても「ナウい」って使わないですよね。つまり、二回死んでいる。流行語として死んだ後、死語として復活して、そして死語としても死んだ。本当の意味での死語になってますよね。現代の若者に「ナウい」って言っても、まったく通じないのではないでしょうか。
そうか。だから、「なう」なのか。苦渋の選択として、「なう」なのか。
確かに、「遣唐使ナウ」とか「現象学的還元ナウ」とか「情状酌量の余地ありナウ」とか、何のことだかさっぱりわからない。なぜなら「ナウ」は死んでいるからです。完全死しているからです。もう一歩踏み込みましょう。「ナウ」が死んだら、「なう」が生まれた。「なう」は「ナウ」の生まれ変わりなのです。「ナウ」は「なう」として、不死鳥のごとく甦ったのです。ナウはなうに生まれない!ナウはなうを殺さない!人間万事塞翁がナウ♡
えぇ、死んでますね。むしろ私が死んでますね。死して屍拾うものなう。